國籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなった方ひとりひとりの氏名を刻印し、沖縄の「平和のこころ」を発信する平和の礎=2018年6月22日、糸満市摩文仁 画像を見る

 

沖縄県の女性力・平和推進課は28日、沖縄戦などで犠牲になった人々の名前が刻まれている糸満市摩文仁の「平和の礎」に、2019年度は韓国人2人を含む42人を追加刻銘すると発表した。沖縄へ強制連行されるなどした朝鮮半島出身者の追加刻銘は17年以来2年ぶり。刻銘者の総数は24万1566人になる。

 

平和の礎は1995年6月23日に除幕した。遺族からの申請に基づき、県が策定した基本方針に沿って刻銘を決めている。2019年度の42人の追加は、12年度の36人に次いで過去2番目に少ない。

 

内訳は県出身者28人、県外12人、韓国2人。重複が判明した北中城村の女性1人の名前を削除するほか、16人分の名前や地域の修正も行う。県は6月23日の慰霊の日に間に合うよう、20日までに刻銘作業を終える予定。

 

糸満市真栄平の金城栄保さん(84)は、沖縄戦中、壕を追い出され一緒に戦場を逃げ回った祖母ウサさんの刻銘が決まった。礎にウサさんの名前がないと気付いていたが、追加刻銘できると知らず最近まで申請していなかったという。「祖母にずっと申し訳なく思っていた。ようやく生きた証しを刻むことができて喜んでいる」と話した。

 

強制連行などで沖縄に渡り、犠牲となった韓国人の追加刻銘が2年ぶりに認められた。朝鮮半島出身者の平和の礎への刻銘は累計464人となる。強制連行については不明点が多く、関係者からは刻銘に向けて県が韓国側と連携するよう求める声も上がる。

 

県女性力・平和推進課によると、刻銘が決まったのは金萬斗(キムマンドゥ)さんと朴在雲(パクザイウン)さんの2人。朴さんは遺族から直接申請があり、金さんはNPO法人沖縄恨之碑の会が申請に携わった。同会メンバーで金さんの申請書を作成した「本部町健堅の遺骨を故郷に帰す会(準備会)」共同代表の沖本富貴子さん(69)によると、金さんは日本軍の輸送船「彦山丸」に徴用されていた。1945年1月22日、米軍機の攻撃を受け23歳で亡くなり、同町健堅に埋葬されたことが米雑誌掲載の写真などで明らかになっていた。

 

沖本さんは県内で犠牲となった朝鮮人は「はっきりは分かっていないが、数千人いるだろう」と推測する。平和の礎の事業でも朝鮮人犠牲者の刻銘作業は遅れていると指摘し、遺族の高齢化でさらに困難になると危機感を募らせる。「県は韓国の関係機関と連絡を取り合い、刻銘に力を注いでほしい」と望んだ。

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