東京都新宿区にある「自立生活サポートセンター・もやい」。生活困窮者の支援活動を行うため2001年に設立された認定NPO法人だ。若き理事長は、過去10年にわたって、この国の「貧困」と最前線で対峙してきた大西連さん(33)。
大西さんのスタート地点は、高卒フリーター時代に初めて参加した炊き出しだったという。
「いや、もうびっくり、衝撃でした。こんなにたくさん、野宿の人がいるんだって。こんなところが本当にあるんだって」
2010年春。初めて足を踏み入れた新宿中央公園の光景に、大西さんは息をのんだ。そこで彼が目にしたのは、公園を埋めつくさんばかり、400人近いホームレスが、支援団体が無償で提供する温かな食事を求めて並ぶさまだった。当時の東京はまだ、リーマンショックの傷が癒えぬころ。すえた臭いが充満する公園が、初めての困窮者支援の現場だった。
「カレーのお椀を手渡すとき、野宿のおじさんと手が触れて。僕、とっさにその手を引っ込めちゃったんです。それが自分ではとてもショックで……。僕は不登校だったし、けっこうしんどい生活を送ってきたつもりが、『俺って冷てえな、全然ダメじゃん』って。1回炊き出しに参加しただけで『いいことしたな』って終わりにするのは、すごく失礼なことじゃないかとも、思ったんです」
以来、大西さんは毎週の炊き出し、それに路上生活者の様子を見て夜の街を歩く、夜回りに参加するようになった。
「そうやっていくうちに当然、仲よくなるじゃないですか。それまでは、見ず知らずの野宿してる誰かだったのが、名前を覚えたり、あちらが僕を認識してくれたり。そうなると他人とはいえ、彼らの困り事が他人事じゃなくなって」
炊き出し、夜回りだけに飽き足らず、役所へ生活保護申請に同行するなど、多くの路上生活者の相談に、個人的に乗るようになった。
「2010年後半から2011年は、めちゃくちゃたくさんの人の相談に乗りました。生活保護の申請同行も年間で百数十人。自慢でもなんでもなく、たぶん日本でいちばん多かったと思います」
しかし、当時の大西さんは依然としてフリーターの身。個人でやれることの限界も感じていた。そんなとき、支援活動の大先輩で、もやいの設立者でもある稲葉剛さん(51)から連絡があった。人員が減ってしまったもやいを「手伝ってほしい」という依頼だ。それをきっかけに、大西さんはもやいに参加。翌2012年からは同NPOの有償スタッフとなり、2014年には理事長に就任。肩書は少し偉くなったが、熱い気持ちは、あの初めての炊き出しのころのままだ。
「生活保護の申請に同行すると、窓口の人の対応がすごく悪いことが少なからずあるんですよね」
そんなとき、大西さんの持ち前の正義感に火がつくのだ。
「『え、なんで?』って思う。この人は何年も頑張って働いてきて。でも、さまざまな事情でいま、困窮していて。だからってすぐに福祉に頼りたいとも言わず、社会への迷惑だとか、自分のプライドだとか、いろんなことを考え、悩み、何年も逡巡して、やっと勇気を振り絞って来たのに。どうして傷をえぐるようなことを、平然と言うんですかと、そう思うんです」
これまで、たくさんの困窮者に同行した窓口で、大西さんは毅然と、しかし何度も、こう言わざるをえなかった。
「なんで、あなたはそんなことを言うんですか? 法律をちゃんと運用してください。生活保護の申請、妨げるものじゃないですよね」
困窮者の世界は、他人事ではない――。いまこの瞬間も、大西さんたち「もやい」は支援の手を差し伸べ続けている。
「女性自身」2020年6月9日号 掲載