「あたしなんか色気もなんにもないのにいいんですか。先日、直近の記事(シリーズ人間)を拝見したら、ハリス副大統領で。あたしはその枠に入る人じゃないですよ。いやぁ、驚いた」
伊東四朗(83)は身を乗り出してこう切り出すと、丸い目を見開いたおなじみの表情で、所属事務所のソファにその身を沈めてみせた。
こうしてインタビューは、笑いとともにスタート。主演舞台『伊東四朗生誕?! 80+3周年記念「みんながらくた」』(2月26日~)の初日を1カ月後に控えた1月25日のことだ。
「へへへ、80+3なんて区切りでもなんでもないですよ。たくさんセリフのある芝居ですね、はい」
応接セットのテーブルには、透明のアクリル板と消毒用アルコール、伊東の顔には全面を覆うフェースシールドにマスク……。厳重なコロナ対策が施されている。コロナ禍での舞台開催は気苦労が絶えない。稽古時も、関係者全員、PCR検査を受け、陰性証明を持って稽古場入りするそうだ。
「このあと、あたし、PCR検査、受けます。ちょっと戦々恐々としてますよ。1人でも出たら、もう(舞台は)終わりだから、はい。あたしみたいな年寄りは罹ったら一発だっていわれてますからね」
フェースシールドは、息子さんが調達してくれたものだという。後輩・志村けんさんの訃報はショックだったと、顔をしかめた。
「けんちゃんの雰囲気というのは、勉強しても作れるものじゃなくて。持って生まれたものなのか、努力して作り上げたものなのか、わかりませんけど、特異な人ですよ。『アイ?ン』でもなんでも、やった後、ちょっと照れる。そういうところが好き。100分の1ほど照れてるのがすごくいい。親しみを感じる。その彼が死んじゃうってことが、あたしのなかでの彼のイメージとはイコールでないですからね。ただただ、呆然としてしまいました」
後輩の急逝もあってか、伊東は昨春以降、仕事以外の時間は基本的に“巣籠り”に徹している。
「ステイホームって全然、苦にならない。退屈がないんですよ。うちにいるときが、いちばん時間がたつのが早いです。本でも読んでみようか、自分が出ている昔のドラマでも見てみようかって、『読もうか』『みようか』と言っているうちに、日が暮れます、ハハハハ」
伊東には、喜劇人としての確固たる矜持がある。かつて、評論家で作家の小林信彦氏は、そんな伊東を「最後の喜劇人」と評した。
「東京の笑いが浅草の軽演劇からっていうね、もし、そういうスタンダードがあるんだとしたら、あたしはやっぱりそこへ滑り込んだ人だと思ってますから、はい。間に合ってよかった。セーフ!」
喜劇人の友は次々と逝ってしまった。時代は移り、人も、笑いも変わっていくが、それでも変わらない喜劇の神髄は確かにある。
「喜劇は、時代のドキュメント」というのが、伊東の持論だ。
「喜劇は、いまをいちばん映しているメディアだと思うんですよ。名画といわれる昔の喜劇をいま見ると、面白いけど、どこか欠けている。現代がないんですね。喜劇は芝居ができたその年、その時に見ないと面白くない。だから、喜劇は難しいんです」
芝居の幕が上がる前、伊東には、毎日、毎回、必ずすることがある。
「開演前に客席の様子や客層を必ず見ます。若い人が多いか、年寄りが多いかで、ちょっと変えないと、不親切だと思っていますから。喜劇って、毎日、同じやり方じゃダメなんです。笑い声のなかに、今日のお客さんの傾向を感じ取って、そっちに傾いてやらないと。笑いはタイミング。いわゆる間が命です。実は、これ、お客さんの間なんです。幕が開いて5分ぐらいで、その日のお客さんの間をつかむ。それができないと負け。毎日が真剣勝負です」
それが老け込まない秘訣にもなっている。
今回の新作舞台は、コロナ禍にあって、観客数は定員の半数、観客はマスク着用になるという。
「やむを得ずとはいえ、お客さん半分でやるのは、どーもイヤなんですけどね。大勢のお客さんで、わ~っと笑ってほしいって気持ちはありますから。お客さんの相乗効果ってのもあるのでね。笑い声も、マスクしてたら、くぐもるでしょうしね。『大声で笑わないでください』ってアナウンスするのかな。おいおい、やめてくれよ、なんて思うけど、仕方ない。ほんと、コロナめ!ですよ」
おどけた表情でそう言うと、姿勢を正して記者を見つめた。
「大変なときに、見に来てくださるお客さんが本当にありがたいですね。クスッと笑って、ちょこっとでもコロナを忘れてもらえれば。そういう仕事だろうと思っていますから、われわれの仕事は。今日というものを背中にしょって……。そう、まだもう少し、この仕事をやっていたい。そういう心境ですね」
「女性自身」2021年3月9日号 掲載