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「橋田さんとは60年のお付き合いです。年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと『どうしたの?』と心配されることもありました」

 

「思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません」

 

こうコメントを発表したのはTBSのプロデューサー・石井ふく子氏(94)だ。4月5日、脚本家の橋田壽賀子さん(享年95)が亡くなったと発表された。そこで橋田さんと深く親交のあった彼女は、冒頭のようにコメントした。

 

2人は’64年のドラマ『愛と死をみつめて』や’79年の『女たちの忠臣蔵』、そして’90年にスタートした国民的ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(すべてTBS系)など数々の名作ドラマを世に送り出してきた。

 

「出会いは橋田さんが34歳で、石井さんが33歳の頃。橋田さんは年下の石井さんに叱られてばかりだったそうですが、その心配りやユニークさに心を許していたといいます。また同年代の女性同士だからこそ、言いたいことも言える仲でした。

 

石井さんは原稿を受け取る際、必ず熱海にある橋田さんの自宅にまで出向いたそうです。橋田さんは原稿を鉛筆で書くのですが、石井さんは『ここで休憩を入れたな』と文字を見てたびたび気づいたといいます。それほど橋田さんのことを理解していました」(スポーツ紙記者)

 

橋田さんは’66年5月、当時TBSのプロデューサーだった岩崎嘉一さんと結婚した。実は、仲人は石井氏だったという。

 

「ある時、橋田さんが『脚本を書けない』というので、石井さんが話を聞くと『好きな人ができた』と。それが岩崎さんでした。岩崎さんはTBSの局員だったため、石井さんは2人の仲を取り持つことに。すると、それから10日後に2人は結婚したのです」(TBS局関係者)

 

スピード婚だったが、橋田さんは89年9月に岩崎さんが亡くなるまで添い遂げた。

 

「橋田さんはその後、自伝的ドラマ『妻が夫をおくるとき』(同局系)を製作しました。岩崎さんとの別れを描いており、石井さんはそのリアリティあふれる脚本に『読むのも辛かった』と話していました」(前出・TBS局関係者)

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