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住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に大好きだったアイドルの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。

 

’80年、彗星のごとくレコードデビューした松田聖子は“ぶりっ子”という流行語を生んだほど、“かわいいアイドル”の象徴だった。そして新曲を発表するごとに、『赤いスイートピー』(’82年)はバラード、『SWEET MEMORIES』(’83年)はジャズ風といった具合にテイストの幅を広げ、大人へと“成長”していった。

 

「そんな聖子さんにとって通算20枚目となるシングル『天使のウィンク』(’85年)は、それまでの変化から一転。原点回帰ともいえる、いかにも聖子さんっぽい、かわいさの詰め込まれた楽曲です。衣装もフリルのついた真っ白なレースのドレスなどで、顔の横で目に見立てた手のひらを、開いたり閉じたりしてウインクを表現した振付が印象的でした」

 

そう話すのは世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。

 

当時、ダイハツの新シャレードのCMにも起用された同曲は、杏里のヒット曲『オリビアを聴きながら』(’78年)の作詞・作曲をした尾崎亜美によるもの。締切りの直前に制作の依頼があり、短期間で作られたという逸話もある。

 

松田聖子の“別れと出逢い”に重なった『天使のウィンク』
画像を見る 85年末の紅白で『天使のウィンク』を歌う松田聖子

 

「尾崎さんの歌声、そして曲調にも、女の子らしさ、かわいらしさがあふれていました」

 

『白いパラソル』(’81年)以降、聖子の曲は松本隆が作詞を手がけていたが、突然、尾崎に白羽の矢が立てられたことになる。大きな転換の前後に、偶然にも私生活では大切な人との別れと、のちに伴侶となる俳優との交際が待っていた。

 

聖子は同曲のリリース直前に、自ら郷ひろみとの破局会見を開き、さらに約半年後、神田正輝と結婚し、しばらくは芸能活動を休止すると発表。

 

「同曲のリリース直前の聖子さんの心には、さまざまな思いがよぎっていたのでしょう。『夜のヒットスタジオ』(’68〜’90年・フジテレビ系)で小坂明子さんの『あなた』(’73年)を歌いながら、感極まって泣いてしまうという出来事があり、さまざまな臆測を呼びました」

 

聖子が涙ながらに熱唱する映像の合間に、ちょうど番組に出演していた郷ひろみの姿が、カットインされたりもした。

 

「ちなみに『天使のウィンク』のカップリング曲『七色のパドル』は、小坂さんが作詞したものです」

 

聖子は結婚直前に『ボーイの季節』、結婚式当日に『DANCING SHOES』(SEIKO名義)をリリースし、発表どおりに休養。

 

2年後、『Strawberry Time』とともに、ママドルとして芸能界に復帰したのだった。

マーケティングライター、世代・トレンド評論家

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