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「メンバーからの説得を受けて、徐々に再始動へと気持ちが固まりつつあった大野さんですが、決定的な出来事が起きたのは昨秋のある夜のこと。グループの絆を再確認し、活動再開により意欲的になっていったのです」(音楽関係者)

 

5月6日18時。ファンクラブ向けにの動画がアップされた。

 

実に1千587日ぶりの5人の姿に歓喜したのもつかの間。復活の知らせとともにもたらされたのは、彼らの重い決断だった。

 

《嵐としての活動を終了いたします》

 

’20年末以降活動を休止していた嵐。来春にコンサートツアーを開催するため再始動し、そのツアーをもって活動終了するという。事実上の解散だ。

 

「ファンはもちろん、日本中の人々にとって悲喜こもごもの発表となりました。しかし嵐は、活動休止していた間“嵐をどうするか”必死に模索し続けていました。メンバー全員が納得できる答えをようやく見つけられたということでしょう」(前出・音楽関係者)

 

動画では、櫻井翔(43)が《およそ1年半ほど前から、折を見て5人で集まりまして、“もう一度嵐として活動する”ことについて話し合いを重ねてまいりました》と説明している。

 

メンバーのなかでは唯一、芸能界と距離を置いていた大野智(44)。東京と沖縄県宮古島の二拠点生活を送っていた。

 

「大野さんは嵐として再始動することに決心がつかずにいました。活動休止した際も、ほかのメンバーはいつか再始動することを前提にしていましたが、大野さんの本心としては戻る気持ちはほとんどなかったそう。“自分はアイドルに向いていない”という思いがあったようです。

 

活動休止以降もメンバー同士、頻繁に顔を合わせていました。しかし、嵐の再始動について話題が及ぶと、大野さんは首を縦に振らないし、4人は“無理強いできない”と、みんな口が重くなるのが常でした。近況を報告し合うときには冗舌だったようですが……。芸能活動を継続している4人と大野さんとでは、温度差があったのは事実です」(テレビ局関係者)

 

’24年1月の二宮和也(41)のインタビューからは、メンバーたちがいかに慎重になっていたかがうかがえる。

 

《皆で会っている時もそのワードは、誰も口に出さないんですよね。その言葉はかなり強いので》(「スポーツ報知」’24年1月23日配信)

 

再始動の話し合いは遅々として進まない。それどころか、大野は宮古島にすっかりなじんでいた。

 

「大野さんは居心地がいいのか自身が経営する飲食店をよく訪れ、カウンターの端で静かに飲んでいますよ。ぱっと見たところでは大野さんとはわからないぐらいオーラは鎮めています」(宮古島の飲食店関係者)

 

このままでは大野は引退してしまう――。そう危惧して、奔走したのが櫻井だった。

 

「’24年4月、嵐は『株式会社嵐』を設立しました。’23年10月に二宮さんがSMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)から独立し、’24年5月には松本潤さん(41)もSTARTO ENTERTAINMENTからの独立を控えていたころです。

 

5人の居場所がバラバラになっても嵐のことは守り続けるため、櫻井さんが会社の設立を提案したのです」(前出・テレビ局関係者)

 

’24年4月、大野は『女性セブン』の取材にこう語っている。

 

「(メンバーとは)今年に入ってからも何度も会ってますよ。招集をかけるのはだいたい(櫻井)翔くんかな」

 

前出のテレビ局関係者は続ける。

 

「会社を設立した後も櫻井さんが中心となってメンバーを集め、議長のように話し合いを仕切ったといいます。自身が会社設立を勧めたこともあり、責任感を持っていたのでしょう。

 

楽曲などの権利に関する煩雑な問題も櫻井さんが大野さんに説明したそう。ジャニーズ問題によって環境が大きく変化するなか、櫻井さんのこうした行動に大野さんは安心感を抱いたようです」

 

もう一人、大野の意思を変化させたのが相葉雅紀(42)だった。

 

’19年8月、『24時間テレビ』(日本テレビ系)でメンバーに向けて手紙を認め、読み上げた相葉。そのなかでこんな言葉を述べている。

 

「僕は休止と書いて“パワーアップ”と読むと思っています」
「近い将来、絶対にグループ活動しようね」

 

相葉のいちずで純真なまなざしに、大野は胸を打たれた。

 

「相葉さんの活動再開を願う気持ちにブレはなく、大野さんとの話し合いでは時には涙ながらに思いを伝えることもあったそうです。

 

以前コンサートのために宿泊していたホテルで、大野さんと相葉さんは涙を流しながら嵐への熱い思いを語り合ったこともあったといいます。共感性の高い2人ですから、気持ちが通じやすい部分はあったのでしょう」(前出・音楽関係者)

 

宮古島にリゾートホテルを建設したり、自動車免許を取得したりと、求めていた“自由な生活”を満喫していた大野だったが、

 

「櫻井さんや相葉さんと連絡を取るなかで、“嵐を中途半端にしたままでは自分は次に進めない”と心境に変化が。期間限定で再び嵐としてステージに立ち、区切りをつけることに、次第に前向きになっていったのです」(前出・テレビ局関係者)

 

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