平和記念公園内にある被爆遺構展示館を視察される雅子さま(写真:JMPA・2025年6月19日) 画像を見る

灼熱の日差しが降り注ぐ、広島市の平和記念公園。米軍が投下した原爆がさく裂した爆心地に近い同公園には、犠牲になった34万4306人の死没者の名簿をおさめた「原爆死没者慰霊碑」が立つ。

 

6月19日、この地を訪問された天皇陛下雅子さまは、慰霊碑に供花し、深々と拝礼されていた。翌20日と合わせた広島県ご訪問は、天皇陛下と雅子さまも入念に準備されて臨まれたものだった。皇室担当記者はこう話す。

 

「被爆者たちの苦難に思いを寄せ、ご懇談相手についてのかなり詳細な情報を収集されたうえで臨まれたと伺っています。

 

広島ご訪問は、4月の硫黄島、先日の沖縄と同じく、単に“戦後80年の節目だから訪問するのではない”ということを、日程の内容や真摯なご姿勢で意識的に示されてきたように感じています。

 

昭和、平成の御代で行われてきた“慰霊の旅”の継承という側面に加え、次世代へ戦争の記録と記憶や平和の尊さを伝えていくものとして、両陛下は今年の“旅”を定義づけるお考えもあるようにお見受けしています」

 

原爆慰霊碑へのご拝礼後、3年前に開館した被爆遺構展示館、広島平和記念資料館を視察し、予定時間を超えて展示をご覧になった両陛下。そして資料館内では、90代の被爆者や、凄絶な体験を高齢となった当事者に代わって語り継ぐ若い「伝承者」と懇談された。

 

ご懇談に参加した才木幹夫さん(93)は、旧制広島第一中学校2年生だった8月6日、爆心地から2.2キロにあった自宅で被爆している。才木さんは、両陛下との懇談をこう振り返った。

 

「両陛下は資料館を、予定の時間をオーバーしてまで、丁寧にご覧になっていたと……私たちとのご懇談の際も、一人ひとり丁寧に接してくださりました。

 

とても印象に残っているのは、両陛下のお優しさでした。私たちの話を“どんなに時間がかかっても、話をとことん聞きたい”というお気持ちと、そして人を思いやるお心が感じられたのです。

 

今回の両陛下のご訪問で“核はだめ、戦争はだめ”ということを、あらためて広く伝えるきっかけを作っていただきました。ご懇談翌日も資料館で、午前と午後の2回、他県から訪れた小学生に話をしました。両陛下がいらしたこともあって、いつも以上に質問が多かったと思います」

 

初日の日程を終えた両陛下は側近を通じて、

 

「これまでのつらい体験や平和の尊さを自ら語り継いでおられることに、深い敬意を抱きました」

 

とのご感想を公表された。雅子さまにとっては2000年11月以来、25年ぶりの広島県ご訪問。平和記念公園の原爆慰霊碑の前では、地元の小学校2校に通う児童たちも出迎えていた。未来の平和を守っていく子供たちとの交流を雅子さまも心待ちにされていたという。

 

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