第13話 すべては忘却のかなた
本当に久しぶりに、日本で母と一緒に過ごせる母の日となった。
実は、母にプレゼントを贈るのは、なかなか難しい。母は、自分が気に入らないと絶対に身につけたり、持ったりしてくれないからである。
私は、そんな母の習性を知っているので、ここ数年は、シドニーからお花を贈るだけで、いわゆるお茶を濁してきた状態だった。ただし、私の母に対する感謝の気持ちを手書きで書いたカードは、欠かさず送ってきた。
はて、今年は、どうしようか。フト目の前の母を見ると、髪の毛が、随分伸びてきている。そう言えば、母は、美容院なんて何年も行っていないんじゃないか?
母の髪の毛のカットを語るには、母の姉のことを語らなければならない。母は、姉(伯母)が3年前に亡くなる十数年前から、伯母に髪の毛をカットしてもらうようになっていた。
私には、母が2歳年上の伯母と仲がよかったんだか、悪かったんだか、今一つ分からない。
母より先に米屋に嫁いだ伯母が世話をし、母は、父と出会った。そして、同業の米屋に嫁いだ。
さらに、伯母と同じ横浜の同じ区に居住し、しかも、同じ横浜市場に、同じ米屋で店を出すおかみさん同士の関係になった。端的に言えば、姉妹なのに商売敵でもあった。
やはり、かなり微妙な関係になったんだと思う。
伯母は、激情型だった。伯母の店より両親の店が、米の値段を安く売っていると、やって来て(伯母の店は、3軒先!)値札を剥がしていくことは、度々あった。それで、父とよく口論になった。母は、伯母と父の間で仲裁役に徹していたと思う。
後年、そんな伯母が、ボケた。
しかし、医者には行かず、脳溢血で倒れて80日間意識不明のまま、帰らぬ人となった。倒れる数年は、認知症の症状、特に記憶障害が、ひどかった。
しかし、そんな症状が、出ているにも関わらず、母は、伯母に髪の毛をカットし続けてもらっていた。当然ながら、母の髪の毛は、ギザギザになり、毎回スカーフを被って帰ってくる。それでも母は、止めようとしなかった。
まるで、母は、髪の毛のカットを伯母との友好関係を維持する手段に使っているかのようだった。そして、その時だけは、姉妹の関係である、と言わんばかりに・・・
そんなこだわりのあった髪の毛のカットを母の日のプレゼントにする事にした。
ドキュメンタリー映像作家 関口祐加 最新作 『此岸 彼岸』一覧
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