第26話 金欠の根源
映画監督として生きていくためには、必然的に貧乏耐久生活を強いられ、「食えない」ことには、慣れっこになっているので、私にとっては、そんなに驚くべく現象ではない。オーストラリアでは、大学や映画学校で教えることで、生活費を稼いでいたのである。
この8月で11歳になった息子も、お年玉を5年間ためて自分のDSを買い、その後、フタの部分が壊れてもとても大事に使っている。
そう、<清貧>は、そんなに悪いことではない、と思う。
ただ、この映像ブログでも出てくる<母が、絡んでいるお金の話し>は、別問題だ。
母の経済状況が、全く分からないまま、母との二人暮らしが、1月に始まった。すでに、3月、4月の段階で母が銀行に行けるのかどうか、かなり疑わしいと思わせる母の認知症の現状だった。
一方、私の収入は、日本に帰国してすぐなのに<セキララ☆ブログ>と4月からは、この<映像ブログ>の仕事を頂き、そこに上映会やら、講演料、講義料などが、加算されてくる、といった具合だった。これで、自分の身の回りのこと位は、まかなえると思い、ひたすら、ありがたかった。
ところが・・・
5月にアルツハイマー病初期、と診断された母は、早くて、しかも暑い夏の到来とともに引きこもりが、ヒドクなり、気が付けば、年金の支給月や、それどころか、どの銀行だったのか、急速にあやふやになってきたのである!
そうなると、私の<身の回り程度>をまかなえる収入(月10万円以下)が、生活費のすべてとなり、一挙に母と二人、困窮生活に陥った。
53歳にもなって、まだ親の年金が、なければ暮らしていけない、というのもエラク情けない話しだが、これが、自主映画制作の実情だ。
確かに、法的には、成人後見人制度があり、母の経済状況を管理する法的道筋が、整ってはいる。しかし、家庭裁判所に持ち込む書類作成には、医者の所見代などを含め、軽く数万円ほど、かかり、今の私の経済状況では、とても無理だ。
実は、母とお金の関係は、切っても切り離せない。
母は、関口家の財政を握ることで、絶大な力を保有してきた。米屋の商売が、ピークだった頃の母の月給は、手取りで軽く100万円を超えていたらしい。
母は、お金の力を上手に使うことに長けていた。お金は、母にとってパワーの誇示であり、最後の砦だ。そんな母が、ボケても、あっさりと私にお金の権利を譲渡するはずがなかった。
しかし、遂に、事件は、起きた・・・
2010.10.9 (土)更新予定!<動画26:アルツハイマー病の母とオカネの関係>
[