京都は庭園の宝庫。しかし、たくさんありすぎて、どこを優先的に見て回ればいいか迷う人も多いだろう。本連載では、京都のガーデンデザイナーであり、京都の庭園ツアーも主催する著者が、景観の素晴らしい庭園から、いるだけで心癒される穴場庭園まで、行って絶対損はない庭園を案内する。近場にあるオススメの立ち寄りスポットも併せてご紹介。
著者:烏賀陽 百合(ウガヤ ユリ)
ガーデンデザイナー。庭、ベランダ、花壇のデザインやコンサルタント。ガーデニング教室の講師。京都の庭園ツアー
<プロフィール>
京都生まれ、京都育ち。同志社大学文学部日本文化史卒業。兵庫県立淡路景観園芸学校、園芸本課程卒業。カナダ・ナイアガラ園芸学校で園芸、デザインなど3年間勉強。ナイアガラ植物園の維持管理も行う。イギリス・キューガーデン付属のウェークハースト庭園にてインターンシップを経験。現在京都を拠点に庭のデザインやカウンセリング、マンションのベランダや小さな庭でもできるガーデニングを指導。気軽に植物を楽しめ、生活の中に取り込めるガーデニングを提案している。また東京、名古屋、京都、大阪などでガーデニング教室の講師を務める。現在、東京・南青山のカフェOVE、目白台運動公園、鎌倉のNaivy Yard、京都の町家ギャラリーniterashinkaなどで定期的に教室を行っている。UR都市機構の団地にて住民交流のためのガーデニング教室も開催。これまで24ヶ国を旅し、世界中の庭を見てまわる。庭にまつわるエピソードやその国の文化・歴史をブログ「庭園小噺」にて紹介(http://ugayagarden.blogspot.com/)。また友人とEpic Kyotoというユニットを立ち上げ、京都の美しい庭園や美味しいお店をfacebookで紹介。京都の庭園ツアーも行っている(Facebook→Epic Kyoto)。
昭和初期の大スターが私財を投じて造った庭
嵯峨・嵐山は素晴らしい庭の宝庫だ。
夢窓国師の天龍寺の庭園、モミジの美しい宝厳院や祇王寺、紅葉の時期だけ公開される厭離庵……どこも美しく、上品な趣を残している。
この地は昔から風光明媚とされる場所で、平安時代にはすでに貴族、文人などによる山荘や寺院建立が相次いだ。厭離庵は小倉山荘があった場所とされ、藤原定家がこの地で百人一首を編纂したと言われている。人里離れたここの土地は、心静かに百人一首を選ぶのにピッタリの場所だったのだろう。
美しい山や川の景色や清凉とした空気、涼しい気候が1000年以上も前から人々を惹きつけてきた。
しかし今や嵐山はすっかり観光地化され、渡月橋の周辺はオンシーズンになると大渋滞。歩いて橋を渡るのも一苦労。渡月橋という美しい名前とは真逆の世界だ。
しかし一つ小径に入ると、静かな風情のある場所が見つかる。
有名な嵯峨野竹林の小径も、一歩足を踏み入れると別世界。美しい竹林と竹の穂垣が続き、竹同士がぶつかって擦れる音が聞こえるほど静かだ。
ここにいると、タイムスリップしたような感覚になる。この道には、現代のものを思い出させるものは何も見当たらない。
この竹林を真っすぐ歩いて行くと、ひっそりと佇む一軒の家にたどり着く。
小さな木の看板が掲げられているだけなので、個人のお宅かと思って通り過ぎてしまう。
ここは「大河内山荘」という所。
この地味な門の向こうに素晴らしい庭があることを知らずに通り過ぎる人も多い。
まさに嵐山の隠れた名庭なのだ。
大河内山荘はその名の通り、大河内傳次郎(おおこうち でんじろう/1898年2月5日~1962年7月18日)の自邸だった場所。
大河内傳次郎とは昭和初期の銀幕の大スターだった人だ。当時映画俳優になれる人はごくわずか。その中でも彼は主演映画を何本もヒットさせる大大大スターだった。
代表作は「丹下左膳(たんげさぜん)」。隻眼隻腕のニヒルな剣士で、大河内の当たり役と言われている。九州出身の彼は、無声映画からトーキーの時代に入ってからも、決め台詞を「およよ、しぇいは(姓は)丹下、名はしゃぜん!」と豊前訛りで話し、ますます人気を博した。大らかな人柄がよく分かるエピソードだ。
大河内傳次郎が俳優としてすでに成功を収め、嵐山のこの地で一山丸ごと購入したのは昭和9(1931)年、彼が34歳の時だった。
太秦の映画撮影所に比較的近く、保津川と小倉山の眺めと京都市内の景色を一望できる場所に、自邸と庭を造るためだった。敷地の広さはなんと2万平方メートル。
映画の出演料の大半を注ぎ込み、64歳で亡くなるまで、彼はここに理想とする庭を造り続けた。
彼自ら庭師と一緒に山を切り開き、デザインも行った。
当時の俳優の出演料は一般人と比べると、破格の値段であっただろう。その大半を注ぎ込んだだけあって、庭は彼の好きなもので溢れ、愛情が随所に感じられる。
お寺の庭とは違い、全くの個人の趣味で造られているので、見て回るのがとても楽しい。
例えば景色の良い場所にさりげなく石のベンチが置かれていたり、彼が集めた美しい灯籠がそこかしこに置かれている。
傳次郎はとても趣味のいい人であったのだろう。庭全体に流れている上品な雰囲気でよく分かる。
敷石と飛び石
彼の趣味が良く出ている所で、絶対見逃して欲しくないのが敷石だ。帰り道の下り坂を降りて行くと、次々と見事な「霰(あられ)こぼし」が現れる。
霰こぼしとはアラレを撒いたように、さまざまな色や形の小さな自然石を組み合わせて敷いた敷石を言う。決して割ったりせずに自然の形を活かすこと、縁起が悪いとされるので目地を十字にしてはいけないこと、などのルールのもと、見た目に美しく小石を敷き詰めていく。全体の端のラインも揃っていなければならない。
高い技術が求められるため、庭師の腕が試される。なのでよく、ここぞ!という場所に使われる。
その霰こぼしが、何て事はない道にどんどん使われているのだ。一つ一つアートの様に美しく、端のエッジも綺麗に揃っている。傳次郎はこの霰こぼしが大好きだったのでは無いだろうか。ずっと続く霰こぼしを見ていると、なんて贅沢なんだろう…と足元をウットリと眺めてしまう。
ここの庭の中で私が一番好きな場所は、茶室「滴水庵」に続く飛び石と楓の林だ。
新緑の緑、秋の紅葉、楓の木立の中この飛び石を歩くとワクワクした気持ちになる。
ここの飛び石は庭の真ん中でなく、右端に据えられている。左手に楓の林を眺めながら歩くことになるのだが、これは庭をより効果的に美しく見せる傳次郎の工夫ではないか。映画のワンシーンを見るように、庭を眺めながら茶室に向かう。
俳優ならではの演出が効いている!と彼が施した仕掛けを勝手に想像する。
飛び石も真っ直ぐではなく、ほんの少し曲線を描いてる。その具合もちょうど良く、ゆっくり庭を歩ける様にデザインされている。
歩く者=ゲストに様々な想像をさせ、ワクワクさせる庭は、必ずいい庭と言える。
足元には苔の絨毯が広がり、木漏れ日の中薄黄緑の苔がキラキラと輝く。ここの方にお聞きしたところ、特別な手入れは何もしていないとの事。「苔が勝手に生えて、一年中枯れることはないんですよ。」と仰っていた。
確かにどんなに暑い真夏の日に行っても、冬の寒い底冷えの時期に行っても、ここの苔は常に美しい緑色を保っている。
傳次郎の庭への思いが今も生きていて、不思議な力で守られているのかもしれない。
傳次郎は大変熱心な仏教徒だったそうで、庭に「持仏堂」まで建てている。彼はこの中に仏像を置き、撮影の待ち時間が少しでもできるとここに籠もって座禅を組み、お経を唱えていた。
もともと脚本家になるために九州から京都に上京し、結果俳優として大成功を収めた彼は、すべて仏様のお導きと深く感謝していたそうだ。
そんな信心深い傳次郎の大切な庭や苔が不思議な力で守られているとしても、まったく不思議ではない。
ここの場所は今でも彼のお子さんやお孫さんによって大切に守られている。
人の手に渡って壊されたり、変な建物にならないよう、とても細やかな気遣いで大切にされている。
最近では、お庭を見に来た人がゆっくりしてもらえるようにと、写経などができるスペースが作られた。傳次郎の奥さん妙子さんのお名前に因んで「妙香庵(みょうこうあん)」と名付けられたその場所には、二人の女性画家によって描かれた蓮の花の襖絵がある。極楽浄土にいるような美しい蓮の世界。心が落ち着く。
お聞きしたところ、この二人の女性画家は昔大河内山荘でアルバイトされていた方らしい。そんなエピソードも微笑ましい、和やかな空間だ。
(妙香庵は常に公開していないので、行く前に確認した方が良い)
大河内山荘に来ると、嵐山の喧騒を忘れ、優しい気持ちになる。
それは、大河内傳次郎が夢見て実現させた美しい庭があるだけでなく、その気持ちを汲み取って大事に守っておられるご子孫の努力も感じるからだ。
こうして傳次郎が大河内山荘に描いた夢は、ずっとこの地で続いて行くのである。
オススメのお店:「松ヶ枝」(まつがえ)
渡月橋の横の道を川沿いに上がって行くと、小倉山と渡月橋の景色を一望できるお蕎麦屋さん「よしむら」がある。ここも人気店だか、その奥に嵯峨豆腐を食べられる「松ヶ枝」がある。
ここは明治時代の日本画家、川村曼舟画伯の庵だった所で、美しい庭が今も残っている。ここのお店特製の抹茶豆腐とそば豆腐で描かれた市松模様の湯豆腐の鍋は見た目にも楽しい。
天ぷらやちりめん山椒がかかったご飯も付いたセットがお得。シーズン中は並ぶ覚悟で。
営業時間:11時~17時(観光シーズンは10時30分~18時、花灯路期間中は平日~19時30分・土日~20時)年中無休
電話:075-872-0102
URL:http://www.arashiyama-yoshimura.com/matsugae/index.html
■大河内山荘
昭和初期の映画俳優、大河内傳次郎(1898~1962)が30年に渡り丹精こめてこつこつと造りあげた優美な庭園。桜や楓が植栽された園内からは、嵐山に保津川の清流、比叡山や京の町並みなども眺められ、四季折々に趣がある。近年、国の文化財に指定された。
住所:〒616-8395 京都市右京区嵯峨小倉山
電話:075-872-2233
文化財:大河内山荘 中門・大乗閣・持仏堂・滴水庵(国・登録有形文化財)
料金:中高生以上 1,000円(お菓子とお抹茶付)小学生500円
開館時間:9:00~17:00
交通アクセス:JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」下車、徒歩15分
京福電車「嵐山駅」下車、徒歩15分
阪急電車「嵐山駅」下車、徒歩18分
市バス「野々宮バス停」下車、徒歩10分
京都バス「野の宮バス停」下車、徒歩10分
URL:https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=4000001(京都観光Navi)