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先日、19歳という若さで余命半年宣告を受け、22歳になった今も末期がんと闘っている山下弘子さんの闘病記『雨上がりに咲く向日葵のように』(宝島社)を読みました。末期がんという絶望的な状況に陥りながらも、今を全力で生き尽くす彼女の生き方には大きな感銘を受けました。

 

人間は死ぬまでの時間を計算できないものです。自分の余命を事前に知ることができないため、死から逆算した生き方ができないのです。もし自分の余命を告げられ、死の時点が事前にわかるとしたら、我々はもっと命の使い方をコントロールでき、より豊かな人生を送ることができるはずです。終わりを意識した人間の命への緊張感、それは並大抵のものではありません。

 

みなさんは、今までの人生で「命の観点に立った決断(=命の決断)」をしたことがありますか。もしないのなら、これからの全ての決断は「命の決断」にされることを勧めます。命の観点に立った決断に基づいて生きれば、すべての瞬間は魂の情熱が込められたこの上なく大切なものとなります。命の決断に踏み切れていない人は無数の些細な悩みで頭がいっぱいになりがちですが、命の決断に踏み切れた人は根幹がぶれることがない。無数の些細な悩みから解き放たれ、頭のなかは本質だけが残った極めてシンプルな状態になります。

 

一見現実的で合理的そうに見える妥協を日々当たり前のように積み重ねていくことで、人生は徐々にそして確実に蝕まれていきます。そこで重要なのは、人生に潜む「妥協の無限連鎖」を今この瞬間から断ち切るということです。

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妥協は意志の不在から生まれ、我々に無力感を抱かせます。妥協は使命感の不在から生まれ、我々の生命力を失わせます。日常の妥協は短期的には安定をもたらしますが、長期的には破滅をもたらしかねないもの。妥協は夢や情熱を失わせ、一度きりの私たちの人生を単調で退屈なものへと転落させます。命への緊張感や揺るぎのない志を持つ者には、妥協という文字はないのです。

 

重要なのは、自分自身が変わること。自分が変わらなければ、何も変えることはできない。逆にすべてが変わっても、自分が変わらなければ意味がないのです。誰かが作った変革の波に便乗するのではなく、自らが変革の起点となることを心がける。取るに値しない陳腐な価値に対して命の欠片である大切な時間を配分するのは、断固として拒否する。自分の命に対する確固たるリスペクトを持つのです。傲慢な慣行に従うくらいなら、その場から潔く離れるくらいがいい。過去の成功体験に安住せず、過去の失敗体験を後悔しない。成功したかどうかではなく、挑戦したかどうかを大事にしたい。失敗したかどうかではなく、失敗から学んだかどうかを大事にしたい。

 

短期的な失敗は不可抗力ですが、長期的な失敗は可抗力です。学ぶ姿勢さえあれば、長期的な失敗はゼロにできます。どんな失敗も、長い目でみれば成功に繋がる可能性を秘めている。ただし挑戦しないことからくる失敗は時間が経っても悪化するだけで、決して緩和されません。挑戦は未来の自分の可能性に対する信頼。よって挑戦はそれを決意した瞬間にすでに成功しているのです。だから、全ての挑戦に温かい拍手を送りましょう。

 

成功するためには、失敗よりもう一回だけ多く挑戦すれば良いのです。立ち止まりたいときに、もう一歩だけ前へ踏み出すこと。結局のところ、成功と失敗の差はその「最後の一歩の有無」で決まるのですから。


ジョン・キム 吉本ばなな 「ジョンとばななの幸せって何ですか」(光文社刊・本体1,000円+税)

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吉本ばなな

1964年東京生まれ。’87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。’88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、’89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、’95年『アムリタ』で紫式部文学賞、’00年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞をそれぞれ受賞。海外でも多くの賞を受賞し、作品は30カ国以上で翻訳・出版されている。近著に『鳥たち』(集英社刊)、『ふなふな船橋』(朝日新聞出版社刊)など。