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2月某日 北イタリア・パドヴァ

日本から遠く離れて暮らしている私にとって、ツイッターというツールは今や自分の日常にとって、切り離せないものになっています。いったん覗き始めると、時間も集中力もブラックホールのごとく吸い取られてしまうので、今までに何度となくアカウントを消そう、もう止めよう、これを見ている時間で何冊の本が読めるだろう、何枚の原稿が描けるだろう、という思いに駆られてきましたが、なかなか実践に踏み切れておりません。

滅多に会うことのできない同業者仲間や、知り合いの方たちのつぶやきの面白さも去ることながら、何より日本だけでなく世界各国のありとあらゆる情報が瞬時にわかるという有為性は捨て難いものがあります。

各国の報道機関アカウントから発信される情報は、テレビのニュースよりも速く届く場合もありますし、しかも同時にたくさんのメディアの見解を比較できたりするので、こちらは心ゆくまでその情報の真相を追求できるわけです。

友人がアップした美味しそうなおでんや可愛い猫の写真、ナンセンスな駄洒落と渾然一体となって流れてくる多様な世界での出来事を視線の脇に止めながら、仕事を進める日々。

しかしさすがにこの数週間は、ツイッターやその他のSNSに対して前より寛容な気持ちでやり過ごすわけにはいかない事態があり過ぎました。TL (タイムライン・時系列でツイッターのホームページ上に自分がフォローしている人たちの発言が流れてくるスペースのこと)に砂漠で跪かされたオレンジ色の服の人の画像がアップされるのを目にしてしまった瞬間の、身体中に走る戦慄は形容し難いものがあります。画面越しに強制される恐怖感や悲しみ、怨嗟といったものは、発信元の連中が完璧に目論んだものであり、我々はまんまと彼らの思う壷にはまって動揺し、慌て、胸中に発芽してしまった苦い思いをなんとか緩和させようと躍起になる。

私もそうですが、次々にアップされてくる各国のメディアの情報の錯綜っぷりに煽られて、仕事部屋の中でひとり机に向かいながら、日本や世界のどこかでツイッターを見ている誰かに対して「こういう情報が入ってきたんだけど、これはどういうことなんだろう!?」と呼びかけずにはいられなくなるわけです。そういうリアクションも結局は連中の計画通り……。

つまり、自分たちの発信した情報に撹乱された心情を、ネット上で露わにしてしまう人間たちを見て、連中は自分たちの存在感に対する虚威を膨れ上がらせるわけです。スーパーの食品に爪楊枝を差し込んだり疑似万引き動画をアップして閲覧数を上げることで、自分の存在への不安を解消しようとしていた少年がいましたが、モラルに反する行為で得ることのできた人々の“動揺”を、自分という人間への注目や関心、支持と思い込む歪んだ心理(やらかした行為の重たさは少年と中東の極悪テロ集団とでは比較になりませんが……)。

 

今回の件では、もしネットというものが普及していなかったら、昔みたいに手紙のみでしかコミュニケーションが取れない時代だったら、助かっていた命があったかもしれない、人質として捕われることすらなかったかもしれない、と感じた人たちは世界中に少なからずいたはずです。

あの連中のプロパガンダを助長しかねないからと、敢えて連中が送りつけてくる動画や画像をいっさい映さなくなった各国のメディアも少なくありませんし、ツイッターでも世界のたくさんの人が画像のRT(リツィート)を阻止するよう訴えかけていました。

ツイッターは本来小鳥のさえずりのごとく、人々の日常のちょっとした出来事や感じたことを、限られた字数の短いフレーズでつぶやきあうという、平和なコミュニケーション・ツールだったはずです。なのに、今やそんな気楽な心地でぼんやり眺めているなんてことは許されないものになってしまいました。