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4月某日 東京

つい先日、私は48回目の誕生日を迎えましたが、まあ正直誕生日なんてのは黙っていても毎年やってくるものだし、その度に周りの方から「おめでとう」と言われるのも何だか申し訳ないので、なるべくひっそりとやり過ごしていました。しかし、今年はうっかりFacebookの設定の仕方を間違えたために、自分の誕生日が公に告知されてしまい、たくさんの方々からお祝いのメッセージをいただくこととなりました。

当然、自分の出生日を「おめでとう」という言葉で祝福してくださる方たちがいるのはうれしいですし、それはむしろ、自分の誕生日に向けられた言葉と解釈するよりも、この世に、そして同じ時代に生まれて、知り合ったり関わったりすることができて良かったね、という意味での感謝なのではないかという気もしています。だから、まあ“誕生日が面倒くさい”などと安直に決めつけてばかりいないで、たまにはそんな「おめでとう」という言葉に触れて、この世に生まれて来た有り難さや奇特さを実感するのも、決して悪くはないのかもしれません。

そんな最中、北海道に住む母リョウコから珍しく電話がありました。

頑固者のリョウコは私が日本に滞在している間もほとんど電話は掛けてきませんし、たまに何かの用事で電話を掛けてきたとしても、情動的言動を嫌う彼女の会話は質実な内容で一貫し、家族的な他愛のない会話なんてほとんど交わされません。しかし、さすがに私の誕生日に携帯画面の着信表示が『リョウコ』だったのを見たときは“ああ、お誕生日のおめでとう電話だな!”と憶測しつつ受信をしたわけです。

すると母は開口一番、こう言ったのでした。

「今日は、私があなたを生んだ日」

自分の想像を絶するその一言を聞いて暫く黙り込んだ後、私はそれに対して「ご苦労様でした……」と答えました。48年前の出産を労われた母はこのように続けました。

「子供が生まれたのは確かにめでたいけど、それ以前にさ、生むのにあんなに頑張った自分もおめでとうだと思うんだよね、私は」

「いや、確かにそうだと思います」

「子供が生まれた日って、つまり自分おめでとうだよね」

「はい、そうですね おめでとうございます」

これが私の誕生日に交わされた母との会話の冒頭部分ですが、でも母の言うことは実にその通りで、私も自分の子供の誕生日がやってくると、頭の中に真っ先に浮かんでくるのは、異国の地で悪戦苦闘しながら一人で出産を経験した思い出です。

夜に陣痛が始まってから慌てて助産師に電話をしたものの、「その陣痛は絶対あんたの気のせいだから、あと1時間我慢して、それでも耐えられなかったらまた電話して」というやり取りを3回ほど繰り返し、やっと明け方近くに彼女を説得。ようやく病院に着いたときには破水直前で、その3時間後に子供が出て来たのはいいものの、直後に分娩台から「歩いて病室へ戻れ」と医師に指示をされました。そして翌日、子供の出生登録をするために街の役所まで歩幅5ミリで歩いて行かねばならなかった辛い記憶が、ついこの間の出来事のように脳裏に蘇ってくるのが、私にとっての『息子の誕生日』です。

ひとしきり、人生でもっとも“死ぬかもしれない!”という危機を乗り越えられた自分の健闘を思い出した後に、初めて子供に対して“お誕生日おめでとう”と思える心のゆとりが芽生えるというのでしょうか。

ですが、私的な解釈では「私があなたを生んだ日です」という言葉には、同時に「あんな大変な思いをしたけど、何がなんでもあなたに会いたかった日」というような、生まれて来た子供に対するリスペクトも何気に醸されている気がします。考えてみれば子供だって狭い産道を通って必死で生まれてくるのだから、お互い大変な思いをした日ということで、労い合うのも間違いではありません。