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4月某日 東京

日本とイタリアを往復する生活がもう何年も続いていますが、毎回イタリアを出発する度に「日本は震災が多い国だからいつも心配だ」と、家族や友人から懸念の言葉をかけられます。昨今はそこにテロの脅威も加わり、益々私の移動に対して穏やかではない気持ちになっているのもあるようですが、それでも彼らにとって日本という土壌がもたらす一番の不安材料は、やはり『地震』です。

イタリアも日本と同じく、古代から火山や地震といった自然災害を繰り返し経験してきた国ではありますが、普段の生活においては日本ほど地震の揺れを感じたりするわけではありません。人びとも普段は地震発生の可能性を潜在意識に秘めながら暮らしているわけではありませんから、たまにちょっとした地震があると、彼らの動揺は解り易く具体的です。イタリア人は子供の頃に学校で防災訓練を受けるわけでもありませんし、テレビでも日本のように頻繁に自然災害の怖さを警告する番組を放映しているわけでもありませんから、仕方がありません。

阪神大震災や東日本大震災の発生時に私は海外におりましたが、報道を伝える番組で必ず話題になるのがそういった状況の中での被災者たちの冷静さです。周りの人からも「日本の人っていうのはなぜあんな悲惨な状況下で誰もパニックにならないのだ、一体どうなっているんだ、仏教の力なのか」と問い質されますが、それにはやはり日本人という国民性も去ることながら、震災に対する意識の高さ、エネルギーの消耗を抑えるといった災害の国でなければ育まれないメンタリティも大きく関わってきているからでしょう。むしろ、そういう国に暮らす人間だからこそ、冷静さを失わず、騒がず暴れないという性質が育まれた、と考える事も可能かもしれません。

日常の安穏とした生活が、災害や紛争といった混乱状態で崩れると、人びとはやはり良識や倫理のコントロールを失いがちになります。生き延びれるかどうかの危機感を焚き付けられて、略奪や窃盗や暴力行為に駆り立てられてしまう人もいたりします。しかし、海外で日本での震災の報道が流れる際、外国人の記者やニュースキャスターのコメントに「誰も暴れず、冷静に列を守って支援物資を受け取っています」というような、日本国民の冷静さを口にする人が多い事からも判るように、彼らには危機に理性を失わない人びとの行動を特異なものと捉えているところがあります。そして、そこにはもちろん「我々も日本の人の冷静さを見習うべきかもしれない」という示唆もあるように感じます。

今回の熊本地震発生時に日本にいた私は、まず現状を伝える報道の中で、ニュースキャスターが被災地で視聴している人びとに向けて発しているアナウンサーの呼びかけの冷静さにも感心していました。

「落ち着いて行動して下さい」

「必ず助けは着ますので諦めないで下さい」

「不安は声を出すと和らぎます 呼びかけ合ってください」

「近くに一人暮らしのお年寄りがいたら声をかけてあげてください」(……正確ではありませんがだいたいそんな主旨だったか)

沢山の震災経験を何度も踏まえてこなければ出てこないこういった言葉に、救われた気持ちになる方々も、きっと少なくはないと思います。

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〝こういう時は取り乱しても人間だから仕方が無いんだ〟と、どこかで思っている節もあるイタリア人の国民気質

ではこれを、たとえばイタリアみたいな国での報道でアナウンサーが口にしたらどうなるでしょう。何気ない事を伝えるだけでもインパクトが強くなりがちなイタリア語という言語の特性という意味でも、アナウンサー自身が冷静を保てるトーンで発言できるかどうかという意味でも、そしてなによりも〝人間なんて大変な目にあえばパニックになってなんぼじゃないか〟〝こういう時は取り乱しても人間だから仕方が無いんだ〟とどこかで思っている節もあるイタリア人の国民気質という意味でも、日本のようなアナウンスがあの国での災害時に流れる事はありえないな、という私なりの結論に達しました。

だいたいイタリアの国民は普段から見知らぬ人たちとも普通にコミュニケーションを交わし、おせっかいも焼く性質を持っていますから、「声を掛け合う」とか「一人暮らしの老人を気にかける」というのは、敢えて誰かに指摘されなくても無意識にやってしまうでしょう。

そういえば以前、なかなか来ない路線バスを待っている人の数がもの凄く増えてしまい、いざバスが到着すると我先きにと人だかりを掻き分けて中に入ろうとする人や、自分が誰それよりも早く来て待っていたと声を上げる人で大混乱に陥った事がありました。たったそれだけの事なのですが、中には「まずは子供と女性だ、子供と女性を先に中に入れろ!!」とまるで難破船にでもいるかのような言葉を叫ぶおっさんまで現れて、ああ、この人たちはパニックに慣れているんだなあ、と痛感したことがあります。でも、その大混乱によってバスはさらに出発が遅れてしまったわけですが……。

日本人は根本的にこうした社会における混乱や軋轢を、イタリア人たちみたいに気にしないでやり過ごせる性質の国民では確かにありません。なので冷静さこそがまず何よりも混乱の増長を抑える、という心理的なコントロールに災害報道の進化を感じた次第です。

 

そういえば、2011年、東北大震災の発生した翌日、私は映画『テルマエ・ロマエ』のロケのクランクアップでローマに居たのですが、そのときに乗ったタクシーの運転手のおじさんが「あんた日本人かい、テレビでやってたぞ、日本人はこんなに大変な時も冷静なんだって」といいながら私を振り返りました。「でもな、人っていうのは本当に我慢できないときは取り乱していいんだよ、泣いたり喚いたりしていいんだよ、だからあんたも泣きたかったら泣いていいんだよ、思い切りな!」と私に話しかけるおじさん自身の目に、既に涙が浮かんでいたのを思い出しました。

確かに人は感情の生き物ですから、理性によって冷静さを美徳と捉えていたとしても、たまには辛さや苦しさを吐露するのも大事な事かもしれません。報道ではアナウンスされないでしょうけれど、「辛くて悲しい時は我慢せずに思い切り泣いて下さい」というのも、実はアリなのかもしれません。

被災地で健気に困難と向き合う方たちの姿を見ていると、そんなことをやはり思ってもしまいます。

 

今回の地震の復興と、震災に遭われた皆様の心身の疲労の回復が1日でも早く叶うことをお祈りしております。