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12月某日 東京

 

2017年の赤ちゃんの名前ランキングなるものを見ると、男の子の1位は『蓮(れん)』で、女の子は『結衣(ゆい)』という名前が上がっていましたが、昨今の日本には『キラキラネーム』と称される種類のものがあり、女の子だと『星凛(きらり、あかり)』、『奏夢(りずむ)』『希星(きてぃ、きらら)』、男の子だと『碧空(みらん、あとむ)』『心人(はーと、あい)』『皇帝(しいざあ、ふらんつ)』というのがトップランクになっているそうです。

 

『皇帝(しいざあ、ふらんつ)』には思わず吹き出しましたが、それにしてもこのような名前を命名された子供がそのうち爺さん婆さんになったとき、どう感じるのだろうかなどと考えずにはいられません。まあ親が自分を思って付けてくれた名前だと思えば、それなりに愛おしい気持ちになるのかもしれませんが、日本のこうした名前の進化の仕方があまりにも自由で、ファンタジックで、特殊過ぎて、これはこれでひとつの学術の研究対象にしてもいいんじゃないかとさえ思えます。

 

ちなみに私の暮らすイタリアでは、日本と違って赤ちゃんの命名の概念はかなり保守的です。今年の8月、義妹に女の子の赤ちゃんが誕生しました。出産のかなり前から親戚一同日曜日に集まる度に、この女の子の名前を何にしようかという話題になっていたものですが、最終的には義妹が決めたIda(イーダ)という名前に命名されました。Idaは別に今時の名前ということではなく、昔からずっと使われ続けてきた名前です。

 

他の欧州諸国でも、祖父母の名前を祖先へのリスペクトという意味で赤ちゃんに付ける人も少なくありませんし、キリスト教の国では聖人の名前を用いることも何世紀も前から続けられています。それどころか、エレナやルチアのように古代ギリシャ・ローマ時代の名前もまだまだ現役ですから、名前には基本的に目立った流行り廃りがあるわけではありません。だから、日本のように名前だけでその人の出生時期を予想することはできないのです。将来「僕、〇〇しいざあです」「わたくし、〇〇きてぃと申します」と名乗る人に会う日がきたら、私は瞬時にその人の出生時期を当てることができるでしょう。

 

ちなみに私が生まれた1967年で最も多く付けられた名前のトップは、男子が『誠(まこと)』で、女子が『由美子』。実際私の友人の中にも何人かの由美子がいますし、誠もいます。で、よく調べてみると実は『誠』も『由美子』も1967年に限って流行した名前というわけではなく、1950年代から既に人気の名前のトップランクには入り続けていました。この当時の傾向として、男子の名前は『誠』のほか『修』『浩』のように漢字一文字のものが多いこと、そして女子の名前の語尾には従来の『子』に加えて『美』が出没しつつあったという特徴が上げられます。

 

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私の「夕子」と名付けられる予定だった

70年代になってくると女の子の名前に『子』をつけることに執着する親は減り、『香織』や『美佳』といったものが増え、男子の名前には『秀樹』『大輔』『亮』などという名前が上がってきます。70年代前半から中ごろにかけて『秀樹』が多いのは、西城秀樹さんの人気にあやかっているのだろうかとつい勘ぐってしまいますが、80年代になるとこれがまたがらっと変化し、『愛』『麻衣』といった欧米風なセンスを漂わせる変則型が増えてきます。ちなみに男子の名前で数年間に渡ってトップに選ばれているのは『翔太』。もうこの名前の響きだけで、当時経済的にも絶頂期だった日本の空気感が伝わってくるようです(私はこの時日本には居らずイタリアで絶讃貧乏中でしたが)。

 

2000年になると、女子の名前には『萌』『葵』などが人気ランクングに挙がるようになり、2010年ごろから今年ランキング1位になった『蓮』や『結衣』がちらほら出現し始めます。

 

名前の流行りは10年ぐらいのスパンで大きな変化をもたらすことが、私も今回調べてみて判ったのですが、今の時代ではなくても滅多にない斬新な名前のついている子というのは、皆さんのクラスにも必ず何人かはいたはずです。

 

たとえばミュージシャンの竹内まりやさんの『まりや』は、お父様が外国でも通用するようにという思いを込めて付けたのだというお話を聞きました。私の本名もおなじくひらがなで『まり』ですが、母はもともと女の子が生まれたら『夕子』にしようと心に固く決めていたそうです。しかし、実際生まれてきた私は丸々とした体躯に大仏のような丸顔。祖父が思わず『ああ、女の子なのにこんな……』と声を漏らしてしまうような有様だったらしく、母は出産3日前に奈良の大仏を見に行ったことを散々責められたそうです。とにかく私の様子があまりにも繊細で儚げなイメージである『夕子』とはかけ離れていたので、その名前は瞬時に却下。咄嗟に思いついたのが『まり』であり、母は長い間その理由を「ボールみたいだったから」と言い続けていました。

 

ところが母は、大人になって海外生活を送るようになった私に「実は外国人にも覚えられやすいから」と言い換えるようになりました。ちょっと“後付け感”がありますが、まあ、彼女がクリスチャンであることを慮れば、あながちそれもでっちあげではないのでしょう。

 

生まれてきた子供の様子によってふさわしい名前が思い浮かぶ、という意味では、私の息子の名前『デルス』もそうです。出産直後、子供の顔をじっと見ていてなぜか私の頭に思い浮かんだのが、この東シベリアの伝説の狩人の名前であり、黒澤明の映画の登場人物の顔が脳裏に映し出されました。おかげでうちの子供は小学校に上がるころまで家に友達を呼んでは黒澤の『デルス・ウザーラ』を見せて、これが自分の祖先なのだとまことしやかに語っていたことがあります。本当にそう信じていたからに他ならないのですが、どこの国のものか判らぬこの名前のおかげで、彼は実際どこの国の人だかさっぱり判らない様子の人間になりました。名前というのは時に衝動的に思いつくもののほうが、その子にぴったりくる場合もあるような気もします。

 

時々自分がもし『まり』ではなく『夕子』だったらと思うことがありますが、どうもやっぱりしっくりしません。初めてイタリアからマンガを投稿した新人賞には、大好きな作家である安部公房の『燃え尽きた地図』という作品に出てくる『根室波瑠』というペンネームを使いましたが、編集者からわかりにくいと指摘され、面倒なのでそのまま本名をカタカナにしたものになってしまいました。もしあの時『根室波瑠』が通っていたら、その名前で今も仕事をしていたのだろうか、と思うと不思議な気持ちになります。

 

名前というものが、どれだけその人の人格形成に影響を及ぼすかは知りませんが、それぞれにそれ相当の親の思いが込められているのだと思うと、顔が丸くてボールのようだったから『まり』というのは何とも安直ですが、今となってはそんな動機もぜんぜん悪くないな、と思うのでありました。

 

それにしても『皇帝(しいざあ)』にはしてやられたり……。

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