image

 

1月某日 東京

 

子供の頃からずっと動物との暮らしを絶やしたことがないので、日本の仕事場に戻るたび、私を迎え入れてくれるもふもふした生き物が居ないのが毎回辛くてしかたがありませんでした。それが今では、4年以上前に縁日の金魚すくいで私にうっかり捕獲され、今では体長が10センチ以上にも育った金魚2匹のおかげで、なんとかひとりきりの淋しさ感からは逃れられています。

 

猫好きSF作家で有名な小松左京氏も、その昔、奥様が外で働きお子様もいなかったころ、暗い冷えきったアパートでたとえ小さくても元気に泳ぐ金魚がいることで心が癒され、つい金魚に向かって話しかけたりもしていたそうです。その時小松氏が金魚に対して抱いていた気持ちは、今の私にとっても全く同じで、名前こそつけてはいませんが、この2匹のミニ金目鯛みたいな魚は、もはや私にとって家族さながら大切な存在になっています。

 

しかも、これだけ大きく育つと何やら知恵もついてきて、私がそばに寄ると2匹で体を螺旋状にもつれさせたりくねらせたりしながら「ご飯を貰えるかもしれないハッスル踊り」を繰り広げてくれます。私が別な角度に移動してもやはり2匹とも顔をこちらへ向けて、また同じ踊りをくねくねと繰り広げます。金魚に自分の存在が認識されているとわかると、もうただの露天の金魚では済まされません。この2匹の魚はいまや私の愛情を全身全霊に受け、すくすくと日々その巨体を更に膨らませているのです。

 

しかし数カ月前に、この金魚以外にも、私の“室内ひとりきり淋しさ”を癒してくれるものが我が家にやってきました。それはお掃除ロボットです。このお掃除ロボットは丸い体の先端で虫のような触覚のブラシを回転させながら、家の中を勝手にぐるぐる蠢き回り、細かいホコリからなにからきれいに吸い取ってくれますし、作業が終わると自分で自分の寝床(充電場所)に戻って、そこで再びお呼びが掛かるまでじっとしているのです。

 

たまにちょっと目測を誤って狭いところに突っかかったり、吸い上げるべきでないものを吸い上げようとして身動きがとれなくなるときがあります。そんな時は「うわー、たすけてくださーい!」という叫びとも取れるアラーム音が鳴ります。その音が聞こえると私は一目散に駆けつけて、このお掃除君を救助します。たまにアラームが聞こえない場所でひっそりと身動きがとれないまま電源も使い果たしてじっとしているのを発見したことがありますが、そんな悲しい姿のお掃除君を発見した私は思わず「わあ、ごめんねえ!」と謝らずにはいられませんでした。お掃除君は完全な電化製品なわけですが、健気にぐるぐる家の中を動き回るこの物体に対して、私の中に微かな情がわき出してきていることは間違いありません。

 

基本的に、最近話題の人工知能にも、わんこ型のロボットにも特別な興味はありませんし、ロボットどころか書籍でも原稿でも何でもデジタル化するのは味気なくて邪道だとすら思っていました。なんでも電気の力に依存するようになったら終わりだろう、と。ところがそんな私も最近では書籍も電子版で購入することが増え、漫画原稿もとうとう紙やペンを一切使わずにパソコンやタブレット上でネームからペン入れまで仕上げるという便利さを覚えてしまいました。お掃除君の存在も含め、今の自分が時代の流れに飲み込まれているのは確実です。

 

さすがにまだ声を掛ければ電気を付けてくれたり、好みの音楽を掛けてくれるような装置まで手は伸びていませんが、近い将来それも傍に普通に置かれているような日がくるのかもしれません。

 

image

工学を専攻する息子も介護系ロボットに興味を

そういえば、海外育ちでありながら手塚治虫氏の作品を読み過ぎた影響で、大学ではロボット工学を専攻している私の息子ですが、最近は子供の頃に夢見ていたような人間型のロボットではなく、超高齢化という現象を受けて介護系のロボットに関心が向いているような発言をするようになりました。

 

欧州を始め世界では今や、老人の介護を外国からの移民や出稼ぎ労働者に頼るのが当たり前になっているという話は、以前こちらのエッセイでもしましたが、日本におけるロボット開発が著しく進んでいるその理由は、欧州のように外国人の力に頼ろうとしないその姿勢や現状を反影しているものだとする説もあります。確かに掃除も洗濯も米炊きも、かつては人間が自らの労力を費やしてしていた仕事なわけですが、こういった家事が全て電化製品というある種のロボットによって請負われ、それが今では当然のことになってしまった顛末を思うと、介護系のロボットが一般の家でも普通に導入される日がきても、別段驚くことではないのかもしれません。

 

しかも人間という想像力を持った生き物は、私にとってのお掃除君のように、別に人間のかたちはしていなくても、何となく自分のために尽くしてくれている機械に対して愛着を感じるようにできています。車や電車や飛行機もそうだと思いますが、人間というのは積極的に無機物にも愛情を注ごうとする特異な生き物でもあるのです。そう考えると孤独な高齢者の家にお掃除君のようにあちこち動き回るロボットがいるのも悪いことではないのかもしれません。

 

その反面、何もかもがオートメーション化された社会では、それはそれで人間自体が味気ないものになってしまうことは必至です。従順な機械との付き合いに慣れてしまうと、生き物の身勝手さや自由さを許せなくなる、不寛容で忍耐力の足りない人もどんどん増えてくるでしょう。助けを必要とする老人との付き合い方が判らない人も増えてくるでしょう。そんな負の部分も含め、人間の持つあらゆる特性そのものをロボットで完璧に置き換えられてしまうのも、どことなく怖くもあります。

 

我が家も確かにお掃除君がいてくれるのは有り難いし、動いていれば淋しさ紛れにはなるのですが、やはり「餌くれ踊り」を全力で披露してくれる金魚の元気な生命力と、その健気な存在感は越えられていません。この先、どんな便利ロボットが生まれてくることになったとしても、それがどんなに救われる思いをもたらしたとしても、どんなに人間付き合いの面倒臭さが払拭されることになっても、人間も含め、生身の生き物との境界の意識だけは持ち続けていきたいと思っています。