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4月某日 鎌倉

 

先月、鎌倉で解剖学者の養老孟司先生にお会いする機会があり、先生のもうひとつのご専門と言っていい昆虫や飼っている猫についてなど、面白いお話をたくさんしてきました。全くのプライベートですからインタビュー記事としてどこかに掲載されることも、インターネットサイトにアップされることもないのですが、興味深い話というものはそういう時に限ってじっくりできるもののようです。特に私も大好きな昆虫については普段めったに話すこともないので、楽しくて時間もあっという間に過ぎてしまいました。

 

それにしても、男性の場合は何歳になろうと昆虫への嗜好は特におかしなこととも思われないのに、なぜそれが女性(しかも中年の)だと奇妙なことのように捉えられてしまうのでしょうか。今も野山であろうと街中であろうと昆虫の気配を感じればついそちらに意識を奪われ、気がつくと身構えたり追いかけたりして捕獲の姿勢を取ってしまうわけですが、そうすると大抵の場合、周りにいる人に「ヤマザキさん、何やってんですか」と呆れられます。

 

おばさんが突然小学生の少年のような行動を取るのが異様なのはわかりますが、「そんなに虫が好きなんですか!?」とびっくりしたような顔で問い質されても、私には答えようがありません。「好き」というよりも、とにかく何か昆虫を見つけたらできるだけ捕まえて、その形や構造をじっくり観察したい、その欲求で頭がいっぱいになるのです。物心ついたときからそういう性質なのです。この世には、女性であっても電車や車や飛行機などのマニアがいるように、昆虫好きな中年女、というのも存在するのです。

 

数カ月前にもたまたま合同ライブで一緒になった小峰公子さんというミュージシャンの女性も、生まれは私の年代ですが、やはり虫が大好きでマレーシアまで虫採りにでかけるほどのマニアだということが判りました。彼女とは初対面でありながら虫話で一気に盛り上がり「今年はどこかへ一緒に虫採りに行こう」という約束までしたのですが、50代でこんな会話を交わせる女性がいたりするのは、おそらく日本だけかもしれません。

 

海外では私の暮らしているイタリアも含め、昆虫に興味のある大人は滅多にいません。女性であれば尚更です。熱帯アジアあたりになれば別かもしれませんが、ヨーロッパやアメリカで虫の話で盛り上がってくれそうな女性には、実際今迄一度もお目にかかったことがありません。

 

ブラジルのアマゾン滞在中に捕獲した、カブトムシ界で最も体重の重いエレファスゾウカブト(雌)を自慢しようと胸につけて宿泊施設のロッジへ行ってみたら、その場にいた欧米人たちは私の胸のカブトムシに目がいった途端「うわああ」と驚いて逃げ出したり、大袈裟な悲鳴が上がったりの大騒ぎになってしまいました。私は思わず「あんたたちは今どこにいるのか判ってんのか! この生物たちの住処にお邪魔してるんでしょうが!」と声を張り上げたくなってしまいましたが、まあ張り上げたところでちょっと頭のおかしな人と処理されただけでしょう。虫が嫌いな人にはそれがどんな貴重な種類のものであろうと、受け入れられないものは受け入れられないのです。

 

そもそも西洋合理主義の根付いた地域では、昆虫は同じ生き物でありながらも何を考えているのかも判らず、猫や犬のように人間の価値観に従ったり気持ちを通じ合わせることもかなわない上、行動を読めない動き方をするので、シンパシーを感じられないのかもしれません。

 

無論、日本にも虫が苦手な人は多いです。数年前、NHKの番組で北海道の母校を訪ねたときも、近所に野山があるにも関わらずクラスの殆どの子供たちが「虫が嫌いな人」という質問に手を挙げたのが印象的でした。私はあえてその時、「では、あなたたちが朝起きて自分の大嫌いな虫に変身していたらどうするか、という想定で作文を書いて下さい」という内容の授業にしましたが、果たしてあれがきっかけで子供が虫好きになったかどうかは知る由もありません。ただ昆虫を見下すべきではないと、その時も子供たちに話したように、多くの人は虫の“生き物としての凄さ”について、知らなさ過ぎるように思います。

 

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ゴキブリだけは苦手です

周りの環境に適応して植物や花のような形態そのものになりきる連中もいれば、種類が違っても他の動物に狙われにくい昆虫の形式をそっくり真似るやつもいる。自分たちの糧として茸を育てる栽培技術を持った連中もいれば、自分が交尾をした相手に貞操帯的処理をして浮気をさせない連中もいる。寄生した相手をゾンビのように操るやつもいれば、交尾をした雄を食べてしまうやつもいる。

 

その生態はまるでSFの中に出てくる宇宙人のよう。つまり私にしてみれば、彼らは同じ惑星に生息している、まさしく“エイリアン”といえます。

 

お互い通じ合う術もない虫ではありますが、前述のアマゾンのエレファスゾウカブトを見つけた時も、手を伸ばしてその体を掴もうとしたときに、彼女はお尻を高く上げてもの凄い威嚇のポーズをとり、猫のようにシャーッという強烈な音を立てました。「わたくしに触れるな!!」と敵対視されたことが何だか嬉しくて仕方がありませんでした。とある南の島で道路に出ようとする蟹を別の方向に誘導しようとおせっかいをしたら、いきなり鋏を振り上げて威嚇されたことがありましたが、その時も同じ気持ちになったものです。

 

そういえば最近の研究によれば、昆虫の脳は人間の中脳という古い中枢と同じ機能を持っていることが判ったのだそうです。ただ、たとえ脳があっても共有の意識表現のツールを持たないために、私たちは虫を意味不明の生き物として捉えてしまうわけですが、やはりそれは大きな間違いだと言えるでしょう。

 

そもそも私が世界の様々な地域へ行き、その土地の言語も習慣も判らずとも、宗教観や考え方が違っても、それこそがなんだか面白いものであり、お互いの異質性を認めつつも共存が叶うところにあると捉えてしまうのは、子供のころからのこうした昆虫嗜好が関わっているからだという気がしています。

 

そんなわけでこれからの温かい季節、様々な虫が元気に外へ出てくるはずですが、本当のことを言えば中には苦手な虫もいて、例えばゴキブリなんかはやっぱりあの脂っこさとすばしこい動きのせいでしょうか、どんなに寛容な気持ちになろうとしてもどうも好きになれません。インドネシアに売られていた昆虫の標本にゴキブリが混ざっていたときは、苦笑いが漏れてしまいました。なんてお話を養老先生にしたところ、先生もゴキブリは嫌いとのことでした。

 

人間は本来超高速で迫ってくるものに恐怖を感じる本能がありますが、ゴキブリはまさにそれに当てはまるのかもしれません。あとこれは本当かどうか知りませんが、大昔、ゴキブリは1mくらいに育つこともあり、人間は補食の対象になっていたという説もあるそうです。ゴキブリへの嫌悪感がその過去の恐怖心によるものだとしたら、まあ解り易いですね。

 

ゴキブリはともかく、そんなわけで今年こそはどんなに忙しかろうと、念願の虫取りに行ってこようと思っております。

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