お経を聴くのは葬式の時くらい。それも意味が分からないし、お坊さん独特のリズムで読まれるので、聴いているうちにだんだんと眠くなる……。そんな人は多いだろう。 
それじゃ、あまりにもったいなさすぎる!
仏教のエッセンスが詰まったお経は、意味が分かってこそ、ありがたい。世界観が十二分に味わえる。この連載は、そんな豊かなお経の世界に、あなたをいざなうものである。
これを読めば、お葬式も退屈じゃなくなる!?

著者:島田 裕巳(シマダ ヒロミ)
1953年東京都生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。現在は東京女子大学非常勤講師。著書は、『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『葬式は、要らない』(以上、幻冬舎新書)、『0葬』(集英社)、『比叡山延暦寺はなぜ6大宗派の開祖を生んだのか』『神道はなぜ教えがないのか』(以上、ベスト新書)、など多数。

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『観音経』に対する信仰をもったことで良く知られているのが二宮尊徳である。

 

二宮尊徳は、二宮金次郎として生まれ、貧しい生活を送るなかで懸命に勉学に励んだことで知られるが、彼が頭角をあらわしたのは、武家や天領の立て直しに手腕を発揮したことによる。

その二宮尊徳の伝記が『報徳記』で、これを記したのは、その高弟、高田高慶である。

 

『報徳記』によれば、尊徳が14歳のとき、隣村の飯泉村の観音菩薩に参拝し、観音堂に座って、念じていると、そこに旅の僧があらわれ、お経を読みはじめた。

すると、尊徳はその読経の声に感動してしまった。そこで、僧に対して、何のお経を唱えたのかと聞いてみると、『観音経』だという答えが返ってきた。

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そこで、尊徳は、もう一度それを唱えてもらうが、僧は、中国の音ではなく、日本の音で唱えてくれていたので、その意味がよく分かった。

尊徳は、それを聞いて喜びに耐えず、自分の村である栢山村に戻り、そこにある善栄寺の住職に対して、『観音経』の功徳がいかに広大無量なものであることを熱心に語った。住職は、尊徳の理解が素晴らしいものであることにいたく驚かされたというのである。

 

尊徳の思想は、「報徳思想」と呼ばれるが、そこに『観音経』が具体的にどういった影響を与えているかは分からない。ただ、私利私欲に走らず、ひたすら勤勉につとめるというところには、その背後に、強い信仰があったことがうかがえる。尊徳は、自分が強く願いさえすれば、必ずや救いは訪れるということを確信し、それを生涯のモットーとしたのかもしれない。

(観音経つづく)

 

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