それぞれの2年目 #1 震災を語り継ぐ使命:遠山弘毅(58)さん
■2013年2月2日11:00 am @石巻市門脇地区
石巻市門脇地区に「がんばろう!石巻」という大きな看板があり、被災地巡りの観光名所となっている。観光バスが横付けされ、多くの人々がここで手を合わせる。
私は昨年の夏以来久しぶりにここを訪れた。 「足、大丈夫かい?」 ぬかるみに足をとられないように、ゆっくり松葉杖をついて歩く私に声をかけてくれたのは、遠山弘毅さん(58)。遠山さんは、名所となったそこで、昨年春ぐらいから小さなテントで「とまりの駅」という仮設店舗をオープンした。
アメリカ同時多発テロの後、NYCのグラウンドゼロにも、観光地となった悲劇の場所で商売をはじめた人々がいた。生きる事の逞しさを感じるとともに、切なさも感じた。
「ここがこんな風に観光地になるのは辛くないですか?」と聞いてみた。
「うーん、はじめはね、そりゃー複雑な気持ちだったよ。この辺りは500人もの住民が亡くなった。裏山に逃げて、助かったけど、火の海になったんだ」
石巻市門脇小学校近辺は、津波で流されてきた車に引火し火災が発生した。
幸い、小学生たちは日和山公園に避難し、助かったが、逃げ後れた住民たちが亡くなった。
「火の海から、助けてくれー、助けてくれー、という声が聞こえたけど、行ったら自分も死んでしまう。なんもできなかった。そのうち声が聞こえなくなって…」
自分を責めるように顔をしかめて辛い話をしてくれた。遠山さんは、もともとこの場所で洋品店を営んでいたという。
店先に、こんな手書きの看板がある事に気づいた。
<お声を掛けて頂ければ、この地域の前行政委員の遠山が震災時の状況についてご説明させて頂きます>
店内には、震災時の写真がたくさん展示されている。そして、売り物は、鯨の缶詰だけしかない。
「観光でも来てもらった方がいいんだ。忘れないでほしい。みんなの供養のためにも生きてる我々はがんばらねばね…」
遠山さんは、商売をするというより、ここで起きた事を皆に伝えることを、生き残った自分の使命だと感じているのだ。
便乗で商売をしている人なのではないかと思った自分を恥じた。
「がんばろう!石巻」の看板の下に設けられた祭壇に手を合わせていると、遠山さんがお線香を持ってきてくれた。
「この隣にある小さな祭壇はね。すぐそこで亡くなった幼稚園児の供養なんだ」
祭壇は色とりどりの花で飾られ、小さなお地蔵さんがたくさん並んでいる。日和山幼稚園の園児5人がバスの中で亡くなったのは報道で見た記憶がある。
「お母さんたちがここで、子どもたちの名前を叫んでずっと泣いていたんだ」と言ったまま、遠山さんは口を真一文字に結んだ。
歯を食いしばったが、涙が溢れ出てくる。そんな私の隣で、遠山さんが一緒に手を合わせてくれた。
鯨の缶詰を買い、再会を約束し車に乗り込むと、遠山さんが息を切らしてやってきて、巻物を広げてこういった。
「これ私が作ったものだけどもらってくれないか?」
巻物には、可愛らしい猫の絵にこんなメッセージが添えてあった。
<心を込めてありがとう。いつもいつもありがとう>
こちらこそ、ありがとうと大きな声で言いたい。遠山さん、また、会いましょう!
写真・文 シギー吉田