本日4月21日15時、最高裁3小法廷は、あの“平成の毒婦”と呼ばれた林眞須美被告(47)に死刑判決を下した。
死者4人、63人が急性ヒ素中毒となった『和歌山カレー事件』。一審、二審ともに死刑。
が、動機不明、直接証拠もいっさいないという矛盾も指摘されていただけに、司法の最高機関が下す判決に大きな注目が集まっていたが、林眞澄美被告側の上告を棄却。死刑が確定した。

事件当時、彼女には同時に詐欺容疑で逮捕された夫と4人の子供たちがいた。

しかし、両親の逮捕直後に家族は離散。施設へと送られた子供たちは誹謗、中傷、いじめ、差別のなかでこの10年間を生き抜いてきた。

現在は出所した父とともに母の無実を信じ、「もう一度一緒に暮らせることを夢見ている」と21歳の長男は語る。

逆境に耐えながら事件前より家族の絆を深めた林家、子どもたちの苦悩の10年間がいま明かされる――――

 

●すべてはあの逮捕劇から始まった!!

「先日、たまたま警官に呼び止められたんです。それで免許証を見せたら『ひょっとしてオマエ、あれとちゃうか。ちゃんと名前言うてみい』と言われ、素直に答えたら、その警官がびっくりして『じつはあの逮捕の当日、オマエの家に入ったよ、こんなに大きくなったんか』と。

そして『あれは滅茶苦茶やったなあ。行ける(無罪になる)と思うから頑張れよ』と言って、立ち去りました。

10年前、両親を逮捕するために大勢の警察官が突然家に入ってきたのですが、その時の1人だったみたいですね。もう結構年配の警官でした。10年たって、何か因縁のような不思議な感じがしましたね」と語るのは、林眞須美被告の長男・利勝さん(21・仮名)。

利勝さんが言う、10年前とは、’98年10月4日のこと。和歌山毒物カレー事件の容疑者(当初は殺人未遂、保険金詐欺容疑などで逮捕)として林眞須美被告と夫・健治さんが自宅で逮捕された日である。利勝さんは、当時まだ小学校5年生。事件の詳細などほとんど知らないまま、2人の姉と、妹と一緒に突然施設に送られたのだ。

その日を境に林家の子供たちの人生は180度一変!まさに悪夢のような出来事だった。今でも忘れることのできないあの日を、利勝さんが10年ぶりに振り返る――。

 

 

 

 

続きは明日…4月22日「逮捕から7年間、母親と会えなくなった子供たち」をお送りします。
シリーズ人間【
林眞須美
和歌山カレー事件・林家の10年は毎日更新

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