200年続いた名門柳田流は、楷書を極め、その頂点に達した流派であるといわれる。
柳田流の楷書の世界は、千300年以上昔の中国、唐の時代に書かれた古典中の古典である欧陽詢(557-841)の名筆を手本に、ひたすら本物の書に近づけ、その真髄を伝承する書法であるだけに、教室でのやりとりは厳しい。
『三星在天』
この日の題目について柳田氏が問う。
「天はなに? 天ぷらの天ですか?」
「天使の天です」
すかさず、翔子さんがいう。
「ズレている!」
「姿勢を正しく!」
「これは失敗ね」
「これも失敗」
ときどき、「これはよい」といわれても、わずかに翔子さんの口元がゆるむものの、翔子さんは黙々と書き続けていく。
その柳田泰山先生によると、
「彼女は不器用の最たる者、当たったときが怖いですよ。普通の人は上手に書こうとか、奇をてらって計算をしながら書く。でも僕はそれを許しません。彼女の場合は、計算などできないから本能で書くのです。だから23歳にして、稀に僕以上のものを書くときもある。僕も不器用の最たるものですが」
という柳田先生だが、普段の会話は日本を代表する書家らしからぬ、洒脱でユーモア感覚あふれるお人柄。
翔子さんとはメールもする間柄。柳田先生に取材中、たまたま翔子さんから電話があり、やりとりを聞いていると「いまどこ? パチンコ?」などといっている。これは以前に翔子さんが、会からの帰途、呼び込みに連れられ見事にパチンコ初体験をしてしまったことから泰山氏が冷やかしているのだ。
「一人の人間として見ているから、障害があってもなくても、扱いは同じです。手加減すると魂の部分で彼女に伝わってしまう」ともいい、真摯に学ぶ姿勢があるだけに、ダウン症だからといって特別扱いは一切なしという。
「翔子ちゃん、翔子ちゃんとちやほやされていては上にはいけない。大舞台を経験している強みもあるけれど、気取って書いていたら怒りますよ。ここへ来ればひとりの生徒だから、教室へ来る道は狭くもなり、暗くもなるでしょう」
教室へ行く道は、現在はどうかと翔子さんに問うと、もうすっかり慣れたようで、
「いまは教室へ行く道は広いし、明るいです」といい、電車の中で、大好きなニンテンドーDSに熱中する余裕も出た。
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