12月7日、東京・芝浦のマンションの自治会が主催する母子のイベントで、絵本の読み聞かせをする入江杏(あん)さん(57)。彼女は「世田谷一家4人殺害事件」被害者の遺族だ。

 

’00年12月31日に世田谷区祖師谷で発生したこの事件では、宮澤みきおさん(44)、泰子さん(41)夫婦に加え、まだ幼い長女のにいなちゃん(8)と長男の礼くん(6)までが残忍な手口で殺害された。入江さんは、被害者泰子さんの実姉である。事件の第1発見者は隣に住む泰子さんの実母で、そこに同居していたのが入江さんだった。

 

奇しくも20世紀最後に起きた未解決事件となり、毎年、年の瀬になると情報提供が呼びかけられるなど、15年目を前にいまなお人々の記憶に鮮明に残っている。

 

「なんとか、私、夫、息子、母の家族4人で生きていました。息子は13歳。成長期に眠れない日が続いたせいか、その後、思ったほど身長が伸びなくなってしまいました」

 

やがて母に“奇行”が現れ始める。第1発見者となった母の心の傷は想像を超えていた。

 

「あの日、私はみきおさんの体を踏み分けて、にいなちゃんの体を抱き上げた――」

 

突然スイッチが入ったようにしゃべりだすと、止まらなくなる。生々しい話を何度も繰り返さずにはいられないのだ。入江さんはぼうぜん自失の日々のなか、母に向かい合い、話をじっくり聞いてあげようと決意した。最後には視力を失ってしまった母は、自分のことをこうつぶやいた。

 

「役立たずは生きていても仕方ない」

 

このひと言が入江さんの背中を押した。いや、「最初はカチンときた」と打ち明ける。

 

「とっさに思ったんです。『役に立たない人間だって、生きてていいんだよ』と。生きていること自体が素晴らしいと思えた瞬間でもありました。そして、亡くなってしまった命だけど、その人生も素晴らしかったんです、と」

 

入江さんは亡くなった4人のことを世に知らしめたいと思った。母の言葉が「前に踏み出す勇気」をくれたのだ。

 

最初に取り組んだのが、妹たち4人家族を絵本にすることだった。物語は、子熊のミシュカが、いなくなった家族4人を思い出し、いつも一緒だと感じているという再生のストーリー。こうして’06年、『ずっとつながってるよ こぐまのミシュカのおはなし』(くもん出版)を出版する。

 

続いて港区の読み聞かせボランティアに応募したのをきっかけに、全国から読み聞かせの依頼が届くようになった。

 

’10年4月、最愛の夫が亡くなった。60歳の若さだった。その1年後、思いがけない事態に見舞われる。

 

「東日本大震災のテレビ映像で、真っ黒な津波に家々が押し流されていく光景は、事件後に私が何度も見た大渦巻に飲み込まれる夢とまったく同じだったんです」

 

気付いたら、全身にじんましんが出ていた。3日間入院して点滴を。10年たっても、事件の影響は残っていた。ようやくトラウマを克服しつつあると思って生活していたが、実はまだ心は闇にとらわれていたのだ。引きずり込まれないためには、立ちどまるわけにはいかない。

 

「被災者の方々の前で私の体験をお話することが、もしかしたらつらさを軽くするお手伝いになるかもしれない」

 

入江さんはその後、東北の被災地でも講演してまわっている。犯人逮捕のその日まで、いや、深く心に傷を負った人がいる限り、入江さんは立ち止まらない。

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