鹿児島市の南590キロ、奄美群島最南端の与論島は、”東洋の真珠”と形容されるほど美しい島だ。東西5キロ、南北4キロ。車で40分もあれば一周できてしまうほどの小さな土地に、5千400人が暮らす。与論では、ほとんどの人が自宅で最後を迎える。

「おばあちゃんが危ない」そんな連絡が入ると、仕事や学業のために島を離れた家族や親類は、どれほど遠方に暮らしていても故郷に駆けつける。家族が安らかな気持ちで旅立てるようみんなで思いやる。それが、この島に伝わる看取りの形だ。

そんな与論の看取りを継承すべき文化と考え、患者と家族を支えるのが、島の中心街近くにある与論徳州会病院の久志安範院長(56)とスタッフたちだ。久志院長は言う。

「急に亡くなったり、身寄りがない患者さんもいるので、100パーセントではありませんが、約8割の方が自宅で亡くなります。与論の人は、亡くなった場所に魂が残ると信じている。家で死なないと魂がさまようと考えているんです」

与論に赴任して16年目を迎える久志院長。自身も同じ琉球文化を受け継ぐ沖縄県那覇市の出身だが、この島での看取りは、何度、経験しても胸が熱くなるという。もっとも心に残るのは、90歳の食道がんの男性患者の思い出だ。

「島外に暮らす娘さんたちが帰ってきて、自宅で半年ほど介護していたんですが、お父さんが息を引き取った直後、些細なことでケラケラ笑っていたんです。悲しみを乗り越えて、めちゃくちゃ明るい。姉妹みんなで精いっぱいやった、きっと父さんも満足してくれている。そんな気持ちなんですね。感動的でした。与論に来るまで、そんな看取りに触れたことはなかった」

与論に永々と受け継がれる看取りの形。古くからの慣習は、死者の弔いの形にも残っているという。与論の人にとって死はタブーではない。事実、与論では法事を“祭”と呼ぶのだ。10日目の法要は10日祭。20日目の法要は20日祭。30日祭、100日祭、1年祭、3年祭と続いてピチューガミ(改葬)を迎えるのである。

改葬とは、埋葬から3~7年後に遺体を掘り起こし、骨壷に改めて葬る儀礼だ。数回の改葬を経て、三十三回忌になると、先祖と同じ海の彼方の浄土に行けるという信仰のもとに行われている。

改葬の日も、親族全員が集まる。祖父母や曾祖父母やそのずっと前のご先祖様に、「末の弟に孫が生まれたよ」「娘の結婚が決まったよ」などと報告しながら、掘り起こした骨を拭くのだ。

骨をきれいに拭いて亡くなった人をいとおしむ。改葬は、時空を超えてこの世とあの世の家族がつながる団らんのひとときなのである。

大切な人との別れは悲しい。だが、逝く人と送る人にとって満足のいく別れであれば、悲しみとともに幸福感ももたらされる。”泣き笑いのさようなら”。それが与論の看取りである。

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