「この1月で64歳になりました。父が65歳で亡くなりましたから、私もあと1年だと思っています。看取らなければならない人がいなくなって、今度は私の番。私の死はもう始まっているのよ」

 

スラリとした細身の体を動きやすそうな黒のパンツスタイルに包み、背筋をピンと伸ばしたまま、羽成幸子さん(64)は少しほほ笑んだ。ショートボブ、首元にはスカーフ、よく通る声。実年齢よりずっと若々しい。とてもあと1年でゴールが訪れるようには見えない。

 

幸子さんは19歳から30年間、祖父母、両親、姑の5人を介護し、看取った。壮絶な30年をこともなげに、しかし、生々しく披露する彼女の講演会は大盛況。講演数はすでに700回を超え、著書は共著も含め15冊。介護がテーマのシンポジウムでは、舛添要一さん、阿川佐和子さん、樋口恵子さんなど、著名人とともに登壇し、対談をしてきた。彼女は知る人ぞ知る介護の達人だ。

 

「達人などと呼ぶ方もいますが、私は何者かと尋ねられたら『主婦』です。主婦のフルコースを歩んできました」

 

家族を看取るだけでなく、4人の子どもを産み、育て、成人させた。メインディッシュを終えた今は、デザートの時期と言う。とはいえ、決して甘くないデザートだ。自身の死に支度をする日々なのだから。墓は44歳のときに買い、庭で育てている花は自分の死後のお供え用だ。近々、死に装束を手作りし、お棺まで用意する予定だそうだ。

 

最後は一人。だから、講演活動も一人で続け、死に支度の一環として、あえて友人さえも減らしている。最悪を考えるから、子どもたちと会っても「さようなら」の一言に、今日が最後かもしれない、という気持ちを込める。

 

「やっぱり最後は自分の家で逝きたい。誰かそばにいればそれでもいいですし、一人でも大丈夫。私のいちばんの理解者である心のなかの私が『まぁまぁの人生だったんじゃないの』と耳元で囁いてくれれば、それでいいと思っています」

 

長い人生修行の果てに達した境地は厳冬の雪原のように純白だ。伸びた背筋を崩すことなく、幸子さんはほほ笑んだ。

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