2年前の夏、ある伝説が流れた。「福島第一原発から20キロ圏内の、漆黒の闇の中で牛の糞尿にまみれて、動物に食事を与えている女性がいる」。飢えて悲惨な死を迎えようとしている生き物を見かねて、福島の警戒区域で走り回る岡田久子さん(44)だった。
早朝6時、車で愛犬ギンガとともに宮城県名取市の自宅から、目指すは福島県浪江町のやまゆりファーム。警戒区域で見捨てられた牛の世話をする牧場で、久子さんはその代表だ。走行距離170キロ、往復5時間をかけて自宅から牧場まで行き来する生活は、まもなく1年2カ月になる。
もともと動物好きだった久子さんは、震災後、原発周辺地域で置き去りにされた犬や猫のために水やフードを配り続けた。そんななかで、牛との出会いは偶然、訪れた。
6月下旬の夕刻、小高地区で1棟の牛舎を見つけた。停電のため屋内は真っ暗。やがて目が慣れると、「うそーー」。腐敗臭が鼻につき、異常な数のハエやウジが這う地面に横たわるのは、変わり果てた牛の姿だった。
「40頭ほどのホルスタインがつながれたまま、升(仕切り)の中で死んでいたんです。そのとき奥のほうで黒い影が動いた。ゆっくり近づいてみると、震災後に生まれた子牛だとわかりました。お母さんがいないのに、よく生きてたね、と」
震えながら、こちらを見つめる2つの瞳。イチゴと名付けたこの子牛との出会いが牧場を始めるきっかけとなった。母からの言葉を待ち続けた幼い日の自分を思い出したのだろうか。
’69年、岩手県盛岡市で生まれた久子さん。父はJRの運転手、母は理容師の共働き。しかし、両親は「パチンコが好きで借金をしてまでのめり込んでいた」という。兄は重度の知的障害があり、施設と家を行ったり来たり。「弟2人の面倒は私」。小1のとき、父にねだって飼い始めた文鳥やインコは50羽を超えるほどに増えた。捨て犬も拾い育てた。「母の優しさや、家族が一緒に過ごす時間がほしかった」という久子さんの癒やしとなったのは動物たちだった。
末の弟は、「慢性肉芽腫症」という血液の病だった。高校卒業後もバイトをしながら介助を続けた。家族を顧みない母もこの末の弟だけはかわいがっていたという。その彼が17歳になり、敗血症をおこし、その後、心肺停止。家族の絆は完全に崩壊した。
そんなとき、バイト先の友人の紹介で知り合った雄二さん(46)と結婚。彼は南相馬市出身だった。「犬や猫を3匹も4匹も飼い始めて、専業主婦で家事や主人の送り迎えをするという、ごくごく平凡な主婦でした」。結婚から10数年、なじんでいた主婦の日常を突然奪ったのが、東日本大震災だった。
夏が過ぎ秋になっても久子さんは牛舎を訪ね続けた。やはり主婦ボランティアで、現在はやまゆりファームの副代表を務める永澤敬さん(57)は当時、仲間からこんな話を聞いた。
「’11年の夏ごろから『漆黒の闇の中で原発20キロ圏内を、牛の糞尿にまみれて食事を与えている女性がいる』という伝説が語られていました」。秋の動物ボランティアの集まりで初めて対面し「これが噂の人かと(笑)」。意気投合した2人は「プロのもとで牧場を借りて世話をしよう」と方向を定めた。
そして昨年7月、希望の牧場に間借りする形で、やまゆりファームを立ち上げ、久子さんが代表となった。久子さん自身は、ファームのこんな将来像を描いている。
「まずは、今いる牛の最後の1頭が目を閉じるまで面倒を見たい。次に、この周辺では先日も猿の群れが来たし、敷地内でイノシシも見ます。海外には『ファームサンクチュアリ』という考え方があります。行き場をなくした動物たちを保護して、いい環境で育てるというもの。福島で、そんな動物の楽園をつくりたいです」