沖縄県八重山郡竹富町の教科書問題を覚えておいでだろうか。教科書の無料給付を受けるためには、近隣市町村で作る採択地域で「協議して、同一の教科書を採択しなければならない」とされている。西表島がある竹富町は、石垣市と与那国町の3市長で構成される八重山地区で同一の教科書を採択することになっていたが、中学3年の公民教科書をめぐって意見が割れた。

 

’11年8月、八重山採択地区協議会は、育鵬社の教科書を採択。石垣市、与那国町は協議会に従ったが、竹富町は納得せず、独自に東京書籍版を採択した。国の無償給付は受けられない。そこで「竹富町の子どもに真理を教える教科書選択を求める町民の会」メンバーが全国からの寄付金を管理し、東京書籍版を購入。’12年4月から、実質の無料配布を続けている。

 

なぜ、竹富町の人たちがそこまで公民の教科書にこだわるのか。読み比べてみればわかる。

 

東京書籍版では「公民」は《現代社会に存在する問題を、自分の問題として受け止め、解決のためにどうしたらよいかを考えることのできる人間》と、定義され《正しい知識と判断力を身につけていきましょう》と、個人が主体となった書き方だ。「国家」についても、《国家は国民の生活を守り、維持する役割をになっています》と、国家よりも国民主権が強調されている。

 

いっぽう、育鵬社版は「公民」を《公の一員として考え、行動する人たちのこと》と、説明。その《公民意識を身につけることが学習の狙い》と、明言する。《国家に守られて生活する私》《国民は国に守られ、政治の恩恵を受けています》など、「国家」を軸にした記述も目立つ。同時に、憲法改正や近年のアジア地域の緊迫化が詳細に書き込まれている。

 

沖縄戦で多くの一般市民が犠牲になった歴史を、肌で知る島の長老たちは“好戦的”とも取れる育鵬社版に強い違和感を持っていた。「竹富町の子どもに〜町民の会」の世話人代表・仲村貞子さん(84)は言う。

 

「私だって、子どものころは言われるままに竹槍訓練に行き、従軍看護婦に志願したかったくらいです。洗脳されて、日本が勝つものと、みじんも疑わなかった。それくらい先生の教えは恐ろしいんです」

 

文科省は竹富町に対し、これまで何度も「育鵬社の教科書を採択するように」と、是正要求を続け、今年4月には「東京書籍版は副読本にするように」と、指示してきた。そのたびに毅然とした対応をしてきたのが、竹富町教育委員会の慶田盛安三(けだもりあんぞう)教育長(73)だ。

 

「教科書問題が持ち上がった時点では民主党政権でした。当時の中川文科大臣はハッキリ言ったんです。『竹富町に無料配布はできないが、採択は無効とは言えない。町が自ら購入して配布することも、法律では禁じられていない』とね。ところが、安倍政権になったら、いきなり『違法』という言葉が出てきた」

 

あきれたようにそう話す。実は、教科書採択協議会の事前調査で、7社ある公民教科書のなかで最も低評価だったのが育鵬社だったという。

 

「ところが、協議会ではなんの議論もないまま、育鵬社がいきなり採択された。おかしいでしょう。これ(圧力)があるから怖いんですよ。戦争は過ぎ去った悪夢ではない。それどころか、だんだん忍び寄ってきているということが、わからんでは困るんです」

 

慶田盛教育長自身、沖縄戦時代の空気を鮮明に覚えている一人だ。

 

「心の底に平和の砦を築くためには、教育こそが重要です。憲法9条の不戦の精神には触れず、憲法改正は手順にまで踏み込み、集団的自衛権ありき、原発ありき、婦人の権利は行きすぎれば社会問題などと書かれた育鵬社版は、使わせるわけにはいかない。まっさらな島の子どもたちはすぐに洗脳されてしまいます。私たちはもう、表紙からダメなんです」

 

慶田盛教育長はそう言って、育鵬社の教科書を机に置いた。表紙の全面に日本列島を写した航空写真が使われているが、沖縄本島から八重山諸島がある場所に、自衛隊の写真が重ねられている。

 

「ほら、沖縄が潰されているでしょう。これなんです。教育で私が大事にするのは存在感と独自性です。沖縄はその第一歩から、存在を消される扱いなんですよ!」

 

二度と戦争を起こさないように。二度と沖縄が犠牲にならないように。その答えを出すのは私たち、そして子どもたちなのだ――。

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