神奈川県営いちょう団地。広さは東京ドーム6個分に相当するマンモス団地だ。住民は中国、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオスなど東南アジア系やブラジル、ペルーなど南米系が多い。住人の国籍は24カ国におよぶ。

 

最近、いちょう団地やいちょう小学校の取り組みが注目され、多くのメディアでも取り上げられた。いちょう小学校は多国籍の人々が暮らす団地の象徴であり、さまざまな文化が交じり合って新たな動きを作ってきた。

 

「自分の文化に誇りを持ち続けながら、日本の社会に適応し、日本を豊かにする人材をどう育てていくか。ひとりひとりについてその方法を考えていくのが課題です」

 

国際教室担当の菊池聡先生(46)はこう話す。現在、ここでは人種が違うことによる対立はない。さまざまな外国にルーツを持つ児童たちが互いを認め合っている光景がある。

 

しかし’90年代当時はまだ、保護者の間でも外国人に対する印象は悪かった。しかし、その転機となったのが、2002年10月、いちょう小学校創立30週年記念行事だった。祝賀会当日、朝5時から保護者や地域の人、先生たち約100人が学校に集結。その100人で日本、中国、ベトナム、カンボジアの4カ国の料理を一気に作り上げた。

 

PTAが1年かけて準備した祝賀会は大成功だった。これを機に、学校、地域の「心が一つになったのでは」と、当時PTA役員だった福山満子さん(50)はいう。その後、団地内の連合自治会も本格的に動き出し、団地内の行事や告知を多言語で伝え始めた。学校・地域などが協力して清掃・防犯パトロールもするようになった。

 

今から8年ほど前、いちょう団地から学校に通う児童たちが「危険」にさらされていた。団地の中の中央道路をバイクがスピードを落とさず走っていた。「どうしてそんなことが起きると思う?」と菊池先生は児童たちに問いかけた。すると外国籍の児童の1人が、「だって看板、日本語だから読めない。うちの親、車は右側通行してたよ」と発言した。

 

児童たちが自主的に動き始めた。それぞれの親に教えてもらい、中央通路にバイク通行禁止の看板を多言語で作成し、チラシも配った。「バイク通行禁止」を団地の有線放送が多言語で呼びかけた。また、同じ時期に、ゴミの分別をめぐって団地の住民同士の“紛争”も起きていた。

 

「日本に住んでいても、親は出身国の文化のまま生活していました。それぞれの文化が異なる。そのことに気づいていなかったのです」(菊池先生)

 

子どもたちが家に帰って、学校で学んだ日本のゴミ出しのルールについて親に説明した。ゴミの分別方法を多言語で作成し、ゴミ集積所に貼るだけでなく、チラシを各戸に投函した。少しずつ、住民も変わり始めた。子どもたちの“紛争”解決の取り組みが団地の「平和」への糸口になった。

 

「活動を通してどの国の児童たちも町に目を向ける。自分たちの町を、いちょう団地を故郷として愛するようになったんです。子どもや親も変われることを実感しました。社会と結びついた、このような地域学習をこれからも続けていきたいのです」(菊池先生)

 

いちょう団地は、お世話になった人への「アリガトウ」の言葉でみんなつながる。40年位上かけて育まれてきた、いちょう団地の文化がいま、花を咲かせようとしている。

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