突然の病魔、いじめ……少年は、死を思うまで追い詰められた。「学校に行かないこと」を選択した少年は「書くこと」を通じて、生きている証しを見つけた。学校以外で必死で「ことば」を掴んだとき、少年には新しい世界が開けた。

 

その感動を新聞という形で発信し続けるのは、別府倫太郎くん(12)。“本物”の大人と出会い、話をし、それを書くこと――。学校に行かなくても、彼は真の“学び”を得ている。

 

「夢は持ちたくないんです。ただ、書き続けたいですね。苦しさ、悲しさ、つらさ、うれしさ。そんな身近な感情の動きを、つぶさにとらえて、書き続けていきたいです」(倫太郎くん・以下同)

 

取材、撮影、記事の構成、執筆、割り付け、すべて倫太郎くんが一人でこなし、ネットにアップされる『別府新聞』は、月間2千人以上が購読し、作家のよしもとばななさん、華道家の假屋崎省吾さんなど、有名人のファンも多い。

 

内容は、日常を切り取る日記的な文章、感性ほとばしる詩、音楽や本の評論、人物インタビュー、町の風俗や行事のルポ、印象的な写真、絵など多岐にわたる。小学生らしからぬ言葉と卓越した文章力が多くの大人を惹きつけている。

 

倫太郎くんは’02年12月5日、埼玉県に生まれた。赤ん坊のころから風邪もひかず、元気で手のかからない子だったが、5歳のとき、円形脱毛症を発症。ほぼ3カ月かけて全身の毛が抜け落ちた。

 

「本当に、あるとき、突然でした。枕に抜けた毛がごっそり落ちていた光景を覚えています。髪の毛が抜けることにより、周囲の人の目が怖かった」

 

小児ネフローゼ症候群を発症したのは小2の6月。腎臓の病気で、タンパク質が尿に漏れ、さまざまな症状を起こす。倫太郎くんは再発を繰り返す頻回型だった。そのまま6カ月入院。治療に使うステロイド剤の、顔が大きくむくむ副作用でムーンフェイスになって太って見え、外見はさらに変貌していった。

 

「当時は、病気もいじめもあり、死も考えました。頑張ろうとしましたが、体も弱ってくるし、頭でいろいろ考えるしかなくなって……。考えて、考えて、頭がいっぱいいっぱいになっちゃって、ワーッとなっていたら、母が『書いてみたら』って」

 

倫太郎くんは、抱えた思いを、考えたことを、飾らずありのまま書き始めた。これが『別府新聞』の始まりだ。最初は壁新聞だった。小3の4月、学校に貼ってもらえることになった。しかし、いじめはやまない。もう限界だった。

 

小3の7月1日。朝、倫太郎くんは母・マサ子さんに「学校に行きたくない」と言った。母に反対されると覚悟していた倫太郎くんだったが、母の「じゃ、“行かない”にしよう」という言葉に驚いたという。

 

「それがフラットな、本当に軽い口調だったんです。もう、本当に僕がダメになっていたとき、理解してくれていた。やっぱり、お母さんはすごいと思った。それで、(学校へ行かない)一線を越えられた」

 

学校へ行かなくなった翌年の10月13日。ネット版『別府新聞』を創刊。プロフィールに「学校に行っていない思想家」と、明記した。その夏、父の友人から、ニコンFM2をもらい、いつもカメラを肩からぶら下げ、心惹かれる人たちや場所、町の伝統行事を撮りためてもいた。

 

取材先は、常に自分の感性で選びとる。その選択を左右するのは彼にとって“本物”かどうか。そして、興味の赴くまま、人と出会い学ぶ。それを書く。それが倫太郎くんの“学校”、彼の言葉を借りれば“寺子屋”だ。

 

大人の話を的確に理解し、それを、倫太郎くんは自分の言葉に置き換えていく。まさに言葉を掴み取ることによって、倫太郎くんは学校では得られない本質的な“学び”を、自分流に得てきたのだ。

 

「中学校も、今は行かないつもりです。ただ、『別府新聞』を出しているから、それでいいかというと、そんなことはなくて。毎日、自分なりに悩んでいます。『行ったほうがいいかも』って。その思いも大切にしたいんです」

 

倫太郎くんは書く。生きている証しとして。書き続ける。

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