FPとして企業や一般向けにセミナーや講演で活躍し、大学、専門学校でも教壇に立つ高橋ゆりさん(45)は、高校を1年で中退。その後、「元ヤン」と言われながら現在までに50を超える資格を習得している。

 

’69年に小田原で生まれた彼女は、家庭の事情により母方の祖父母に育てられた。小学校入学と同時に両親と妹との暮らしが始まったが、祖父母の家とは同じ敷地内。祖母は徹底したスパルタ教育で怖い存在だった。

 

「『ヤヌスの鏡』という漫画に出てくる怖いおばあちゃんそのもの。家では背中に長尺を入れられ、週に8つのお稽古事や塾などをはしご。でも、怖くて嫌だとは言えませんでした」

 

祖母は孫に厳しく接する一方、自由気ままに生きる娘には甘かった。ゆがんだ家族構図のなか、いびつな環境を見かねて同情してくれる友達もいたが、祖父の死をきっかけに小学6年生で高橋さんははじけた。

 

「見た目が高校生ぽかったので、似たような友達と、小学生から夜出歩き、お酒を飲み始め、たばこ、シンナーと誘われるままに手を出し反抗的になりました」

 

祖母も負けずと手や足が出たことはしばしば。その間、実の母親は「無関心というか、放任でした」と高橋さん。行きたかった私立高校の受験も、祖母が用意していた入学費用を実母が知人からの詐欺に遭い、失っていたことが発覚して断念。

 

「仕方なく地元の公立へ進みましたが、通学する意味が見出せなくなり、休みがちに。単位が足りないと言われたのを機に退学届を出しました」

 

その後、19歳で会社員の男性と結婚、その夏に長女が生まれ、20歳で長男が誕生。「このときは祖母も跡取りが生まれたと大喜びでしたが……」。婿養子だった夫と実家の関係が急速に冷えていくのをどうにもできず、’97年に離婚。2人の子供を保育園に預け、地元の建設会社に事務員として勤務。ここで恩人となる人と出会い、高橋さんの人生は変わった。

 

「この会社の社長から得たものは計り知れません。こんな私を雇ってくれたのだから。あるとき、何気なく社長から『お前なんかバカで何もできないんだから』って言われたんです。『えっ?じゃあバカで何もできない私をなぜ雇ってくれているんだろう。なんていい人なんだろう』と思って、何か社長や会社のために、できることをしようと本気になったんです」

 

押し付けられる学校の勉強には興味がなかったが、好奇心は旺盛で、学ぶことは好きだった。秘書検定準1級、全商簿記、建設業務経理事務士ともに1級を取得。「会社の役に立つものを基準に取得しました」。そしていまでは50以上の資格の持ち主に。学校をドロップアウトしたことで、独学が向いている自分に気がついたという。

 

勉強法はまったくのオリジナルだ。電車の中やリビングの騒がしい場所で暗記したなら、その風景や会話とともに覚えてしまう。飽きないよう複数の資格や科目に同時進行で取り組む。1人で集中したいときはお風呂にふたをして机にしてこもった。どこでも勉強はできる。「隙間時間こそやる気がでる」と高橋さん。

 

次々と資格を取得する高橋さんに、社長は「知らないうちにバカじゃなくなっていたな」と褒めてくれた。この会社には16年勤務し会社の転機とともに転職を決意。「資格を生かせるだろうか」と半信半疑で受けた大手金融会社数社から採用通知が届いた。

 

「子供2人が私立へ通っていたのでまだまだ働こうとしたとき、取得した資格が役立ってくれました」

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