30〜40代の子育て世代の地方への移住が増加するなか、特に祖父母の住む田舎へ生活の拠点を移す「孫ターン」が急増している。見ず知らずの土地ではないため“新参者”のレッテルを貼られず「○○さんのお孫さん」と地域になじみやすく、メリットも多い。

 

超高齢社会を迎え、地方が疲弊しつつあるニッポン。その再生の切り札となりえるのか?大注目の孫ターンの理想と現実を、体験者に語ってもらった。

 

「僕が祖父母の地元、石川県での就農を決めたとき、祖母が喜んで『浩幸が帰ってきたよ』と、仏壇の亡き祖父に手を合わせて報告していました」

 

能登半島の西部、羽咋市の神子原(みこはら)地区に、屋後(やご)浩幸さん(39)が孫ターンしてきたのは’08年のことだった。かつては限界集落、現在は25世帯が暮らす。

 

「大阪生まれの広島育ちですが、祖父母が金沢市に住んでいて、先祖の墓もあり、子どものころから盆暮れに家族で帰省していました。祖父も父も長男で跡継ぎ。僕も長男で、5歳のときに祖父が亡くなり、墓に納骨したときに、『僕もこの墓に入るんだ』と強く思ったことを今でも覚えています」

 

大学卒業後、インド、パキスタンなどを旅して周り、「食」の大切さを感じた。

 

「この旅で、食に関わることと、人さまに感謝される生き方をしたいと考え、就農を決意しました。そして1年間、栃木県の農家で有機栽培の研修を受け、その後インドネシアで有機農業を立ち上げるNPO法人で3年半働きました」

 

帰国後いよいよ就農しようというとき、真っ先に金沢が浮かんだという。残念ながら市内には条件の合う土地がなかったが、羽咋市で空き家と空き農地を見つけた。移住にあたり、集落の面接があった。これに受からないと移住は認めてもらえない。羽咋市で地域おこし協力隊として活動する湊信次さんは言う。

 

「やはり、集落の人からすると、『どこから来たのか?なぜここに住みたいのか?』と、疑問を持ちます。屋後さんのように、『祖父母が石川県で』というと『ほんでかー』と、腑に落ち納得できるんです。それでも、屋後さんのように何をしたいか確固たる信念がないともちませんし、孫というだけでは、私たち行政側も支援が難しい」

 

面接では、集落の“おきて”も伝えられた。

 

「行事や、道路掃除、会合、祭りへの参加です。神子原に来るかぎりは参加すべきだと思いました。ここには『烏帽子(えぼし)親制度』というものがあり、集落の人が移住者の親代わりになってくれるんです。集落自体が1つの大きな家族。本当の子どものように親身になってくれて、困ったときにはいつも助けてくれるんです」

 

屋後さんは消防団員、交通安全員、体育委員、農協地区代表などを務めており、神社の秋祭りも復活させた。

 

「住人として積極的に地域に関わってきたからこそ、農地も提供してもらえました。耕運機を無料でもらい、トラクターも格安で譲ってもらって。3年前には、住んでいた家も本当に安く購入できました」

 

当初600坪で始めた畑は、3,000坪にまで広がった。現在は40品目の野菜を育てている。

 

「実は子どものころに食べた、祖父が作ったトマトの味が忘れられないんです。ただ、その味を超えるトマトはまだ作れていません……。その味を超えるのが、孫ターンした僕の目標です」

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