「イスラム国」でレイプされて、絶望のふちに沈んでいた少女の表情がふっとゆるむ。女性らしい心配りが、暴力の犠牲になった女性や子どもたちの傷を癒していく。戦地の横で、物資が足りないお母さんが安心して子供を育てることができるように。自分の身を捨てて、現地の人々から信頼される活動を続ける日本人女性がいる。

 

NPO「日本イラク医療支援ネットワーク/JIM-NET」の医療支援コーディネーター、榎本彰子さん(32)。ジムネットは、市民グループやNGOなどが集まり、イラク戦争の翌’04年に結成された。’12年からはシリア難民への妊婦支援なども開始した。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實さん(67)が代表を務める。

 

ヤジディ教徒のカーウィーが家族とともにイスラム国に捕らわれたのは、昨年8月。拉致から半年後、逃走に成功しクルド人自治区のドホークにたどり着き、先に開放されていた母親らと涙の再開を果たした。イスラム国では戦闘員に結婚を迫られ、拒むと殴られ、レイプされた。

 

この日は15歳になったカーウィーが、支援対象になるかの聞き取り調査。榎本さんの「頭の傷はもう平気?」という問いにも、ただ小さくうなずくばかり。その後、いまだに父親、3人の男兄弟、25歳の姉はイスラム国に捕まったままで、生死さえわからないという事実が通訳を介して告げられた。

 

母娘を見送ったあと、最後にカーウィーが初めて語った「イラクを出たい」という言葉の重さについて、榎本さんは語る。

 

「ヤジディ教徒は閉鎖的な面もあり、たとえレイプであっても異教徒と性交渉をしたというだけで、白い目で見られることがあるんです。この国では堕胎も難しいから、彼女は今、妊娠をとても心配していました」

 

それから1週間ほどして。少女カーウィーの支援を今後どうするか決定する日。鎌田先生も同行する。たどり着いたのはドホークの小高い丘の中腹にある建設途中の住宅。カーウィーの親戚の家で、ここに母娘はほかの4家族と共に身を寄せている。

 

やはり緊張の面持ちで鎌田先生と面談していたカーウィーだったが、終了後、笑顔で榎本さんの隣にやってきた。先日とは別人のようだ。

 

「学校にいきたい?」「うん」「将来は何をしたいの?」「学校の先生!」

その様子を誰よりもうれしそうに見ていたのは、カーウィーの母親だった。

 

「日本の方々のサポートは本当にありがたいです。故郷がない私たちは、ここで家族を待つしかない。いつか家族がそろうのが、私の希望です」

検査の結果、カーウィーは妊娠しておらず、性感染症にもかかっていないことがわかったという。

「『前を向いて生きて』というのはまだカーウィーには酷かもしれませんが、少しでも下は向かないでほしいなぁ」

と榎本さん。単身で奮闘するイラクでの日々。昼間会った子供たちの身の上を案じて眠れない夜も多いというが、今日はぐっすり眠れるだろう。日本を離れて初めて見える母国というものがあると……、榎本さんが言う。

 

「イラクでは日本製品の品質の高さとともに、広島や長崎の原爆投下についてもよく知られています。親日家も多く、私たちの活動がしやすい一面も。しかし今、イラクから日本が戦争加担に傾いていくようなニュースを見ていて、せっかく築いてきた信頼が一気に崩れるのではないかと心配です。私自身は、自分の活動を通じて、中東のことを日本の人たちに伝え続けたいという思いは変わりませんが」

 

これからも現場にこだわりたい、と締めくくった。そこに、子供と母親のたくさんの笑顔があることを信じて。

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