東日本大震災から5回目の、お盆が過ぎた。少しずつ気持ちの整理をする中で、亡くなった家族に“接する”ことができたという体験談を語る人が、増えてきた。被災地で聞いた、ちょっと不思議で心温まるエピーソードをご紹介−−。

 

東日本大震災で、宮城県名取市の沿岸部に位置する閖上(ゆりあげ)地区は、人口5千人以上のうちの750人ほどが津波の犠牲となった。その閖上地区から2キロほど離れた美田園地区は新興住宅地となっていて、急速に新しい街並みが整えられつつある。

 

「母の写真や思い出の品を捜してみたんですが、やはりひとつもなかったんです……」と、190センチの長身を折り、うつむきがちに話すのは、名取市議会議員の荒川洋平さん(33)。荒川さんは震災で、母・八千代さん(享年58)と2歳下の弟・孝行さん(享年27歳)を失った。

 

「私は震災当時、仙台市のウェブ制作会社に勤務していて、営業を兼ねたウェブ・ディレクターでした。妻の真未とは仙台で知り合い、当時は交際中でした。もちろん母には紹介していたんですが、母は彼女をとても気に入っていて、私のいないところでは、彼女に『まだ結婚しないの?』と聞いていたようです」

 

あの「3・11」、荒川さんは仙台市のオフィスで地震に遭遇した。

 

「父は岩手に出張中でしたが、無事が確認できました。夜は、余震が多くて不安でしたので、クルマの中で過ごしていたんですが、ラジオで荒浜の状況を聞いて、青くなりました。その夜は一睡もできず、母や弟に電話やメールをしましたが、まったくつながりませんでした」(荒川さん・以下同)

 

翌日の夕刻、地元紙の一面に掲載された写真を見て、荒川さんは泣き崩れたという。

 

「津波が押し寄せる、衝撃的な写真でした。家族のことを思うと涙が止まりません。当時の会社に頼んで、情報収集をさせてもらいながら、名取市内の避難所を回ったんですが、そこには母も弟もいませんでした。市役所の避難者名簿も確認したんですが、名前はなく、夜中に閖上に向かったんです」

 

そして3月末、弟の孝行さんの遺体が見つかる。だが、八千代さんは依然、見つからず、その年の8月には、遺骨のないまま葬儀を行った。翌’12年1月、荒川さんは名取市議選に立候補し、当選。3月には真未さんと結婚した。その4カ月後の7月24日、DNA鑑定の結果から八千代さんの遺体が見つかる。写真に残されていた当時の遺体はあまりに損傷が激しいものだった。

 

八千代さんの遺骨を抱えて帰宅すると、その夕方、八千代さんが生前に勤めていた会社の社長が、線香を立てに来てくれた。荒川さんが発見された当時の遺体の様子を話すと、社長は「その姿で、あなたのお母さんが、先日夢に出てきてね、『こんな姿になっちゃって……』と言ったんだよ」とおかしなことを言う。

 

その言葉に驚いた荒川さんだが、じつはその社長から「お母さんが夢に出てきた」と知らされたのは、それが初めてではなかった。市議選に出るときには、「どうか息子を応援してやってけねがや(=応援してやってください)」と生前の元気な姿でそう懇願したのだという。その社長の夢に出てきた八千代さんの言葉を、いま、荒川さんはこう思っている。

 

「私たち兄弟を育てるのに、母はすごく苦労したと思います。自分のことより、常に子供が優先。社長の夢の中でも私のことをお願いしてくれた気持ちに、私は応えなければいけない。とにかく、名取市と閖上の方々の、一日も早い生活再建のために、がんばりたいと思っているんです」