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(村民の村離れは、菅野典雄村長が村民の声に耳を傾けないからだ、という声も(撮影/藍原寛子)

「ニュースで見るまで知りませんでした。子供たちは、この間ずっと悩んでいたんです。学校再開が来年4月だと聞いて(飯舘に戻りたくなくて)転校を決めた子もいると思います。いったいどうしてくれるんでしょうか」

 

そう話すのは、飯舘村から福島市内に避難中の菊田慶子さん(仮名・43)。現在中1の子供を、福島市内の仮設校舎に通わせている母親だ。

 

飯舘村の菅野典雄村長は、これまで独断で二転三転と学校の再開時期を変更してきた。そして、3月23日、「学校再開は17年4月ではなく、1年間延長して18年4月からとします」と、記者発表。菊田さんは、先に子供や保護者になんの説明もなかったことに、憤っていた。しかも、学校再開を一年延期した理由は、「学校の改修工事が1年では間に合わない」からだという。しかし、それは前からわかりきったことではないか。

 

飯舘村での学校再開をめぐる菅野村長の独裁ぶりは、子供や保護者に大きな混乱と、心の傷をもたらしている。

「村の除染はまだ完璧ではないので、本当に不安で家族と毎日悩んでいます。放射能があれば、外でのびのびと遊ぶことも部活をすることもできません。せめて5年、学校再開を延期してほしい」(飯舘中学校1年・男子)

「お年寄りは村に戻るかもしれないけど、子供が戻る確率は少ないと思うんです。村長さん、どうなんでしょうか……」(同中学校1年・女子)

「(涙声で)……私たちが村に帰るメリットってなんですか?」(同中学校1年・女子)

 

これらの悲痛な意見は、福島市内にある飯舘中学校の仮設校舎で1月19日、中学校1年生を対象に開かれた「村長さんと語る会」で子供たちから出たものだ。

 

その意見が出る前に菅野村長は、「(戻ることを)判断するのはそれぞれだが」といいながら、「私としてはひとりでも多く飯舘村の学校に戻ってもらいたい。(帰還問題を)嫌なものに出会ってしまったと考えるのか、仕方がない、一生懸命考えて判断しようと前向きに考えるのか、そこが大切」

などと生徒に語りかけた。

 

アンケートで、避難指示が解除になれば家族で村に戻るという保護者は4人

福島第一原発から北西に約30~50キロに位置する人口約6千500人の飯舘村は、いまだ放射線量が高く、全村避難中。避難先の学校に転校した子供も約半数いるが、村外の川俣町(伊達郡)や福島市内の仮設校舎にスクールバスで通っている子供もいる。

 

 だが昨年、国が17年3月に避難指示を解除する方向で調整に入ったことを受け、菅野村長は昨年10月、保護者の意見も聞かずに、突然、「避難指示が解除されたら、17年4月から、村で学校を再開する」と発表。そのため子供たちや保護者は、大混乱に陥った。

「家族で安心して村に戻れるようになるまで、学校を村で再開すべきではありません」

 

そう話すのは、村立臼石小学校PTA会長で4児の父の川井智洋さん。子どもらは、川俣町の仮設校舎に通う。川井さんは昨年秋、村長が突然、学校再開を17年4月にすると発表したことを受け、PTA役員らとともに「飯舘村の子どもの将来を考える会」を立ち上げ、保護者らに緊急アンケートを実施した。

結果は「学校が再開されてもあまり通わせたくない(33%)、通わせたくない(53.2%)」と、”通わせたくない人”が8割以上にのぼった。

「除染のゴミを入れた黒い袋が山積みになっているようなところに子供を通わせたくない、という意見が大半でした。まだ放射線量も高いので、健康影響を心配する声も多いのです」(川井さん)

 

さらに、学校再開以前に、根本的な問題がある、と川井さんは指摘する。

「17年3月に避難指示が解除になっても、すぐ村に戻る世帯はほとんどいません」

 

川井さん自身も、すぐに帰還するつもりはない。

「大人も戻るかどうかわからない場所に、子供だけ避難先から長時間かけて通学させるっておかしいですよ。学校再開を一年延期しても、状況は変わりません」(川井さん)

 

アンケート結果によると、避難指示が解除になれば家族で村に戻るという保護者は4人。川井さんらが作った「飯舘村の子どもの将来を考える会」では、学校再開をせめて3年延ばしてほしいという要望書を、村と議会に提出しており、現在も継続審議中だ。

 

しかし、3月23日の会見で菅野村長は、「一年延長したのは、保護者からの要望書も影響したか」との質問に対し、即答で「まったく影響していません」と回答。これには川井さんも言葉をなくしていた。

 

そもそも飯舘村は、数年後に子供を戻せる環境なのか。

 

飯舘村の前田地区区長の長谷川健一さん(元・酪農家)は昨年11月、市民団体に依頼して、再開予定の飯舘中学校の土壌に含まれる放射性セシウム137の値を調べた。

学校の倉庫北側では、なんと放射線管理区域の4万Bq/平米の約226倍にもおよぶ903万Bq(ベクレル)/平米もの高い数値が……(表参照)。

ちなみに放射線管理区域とは、放射線による障害を防止するために、法令で管理されているエリアのことだ。

「俺らがいちばん心配しているのは、子供たちの健康よ。チェルノブイリ原発事故から30年たつけど、いまだにむこうでは98%の子供たちになんらかの疾患があるって。菅野村長はずっと、『子供は宝だ』と言ってきたのに、今まさに、子供の命と村の存続を天秤にかけてるんだ。これだけは、黙っちゃいられねぇ」

と長谷川さん。自身の孫も福島市内の学校に転校させている。

こうした汚染状況を、村は、どう見ているのか。

 

村役場に問い合わせると、担当者はこう述べた。

「土壌汚染は、農地しか調べていないのでわかりません。国は、年間被ばく量20ミリシーベルト以下(注1)で避難指示を解除していますが、村では独自基準として、年間被ばく線量を5ミリシーベルトに設定しました。ですから国に対しては、除染で年間5ミリシーベルト以下に下げてくださいとお願いしています」

 

役場の職員は、年間5ミリシーベルトを、1時間あたりの放射線量に換算すると、「地上約1メートルで毎時1μシーベルト(通常の約25倍)」で、これが除染の目標値だという。さらに、年間被ばく線量を5ミリシーベルトに設定した理由を尋ねると、

「放射線管理区域の基準だからですよ。高いですか? 国は、年間被ばく量20ミリ以下で解除しているんですよ」

との返答。だが過去には、白血病の労災認定が、年間5ミリシーベルト被ばくした原発労働者に下りた前例もある。

しかも村長は3月23日の記者会見で出た、「年間被ばく線量が何ミリシーベルトに下がれば、除染が完了したとみなすのか」との質問に対して、

「たとえ年間被ばく線量が1ミリシーベルトになっても、戻らない人は戻らない。自分で判断してほしい。村としては、できるだけ元に近づけてほしいというだけで、国に対して具体的な数字は要求しない」

と、述べた。村職員の答えと異なるうえに、村として線量を下げようと努力する姿勢はうかがえない。

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「村に戻るメリットは少人数授業」と村長は語った

これに対し、約20年にわたって飯舘の村づくりに関わり、原発事故後は、汚染実態や、除染の効果と限界について調査を行っている日本大学の糸長浩司教授は、「放射線管理区域は、毎時0.6μシーベルトで、村が設定している毎時1μシーベルトではありません」と指摘したうえで、こう警鐘を鳴らす。

「校内の土や砂利などの場所なら、除染すれば平均毎時0.3〜0.6μシーベルトくらいに低減化されると思います。それでも放射線管理区域なみのリスクを子供に押し付けることになる。毎時1μシーベルト以上のホットスポットも残ったままでしょう」

 

飯舘村は約7割が山林で、再開される中学校も山に囲まれている。

「山林の除染は、落ち葉の排除のみなので、その下の土壌には相当量の放射性物質が残っています。樹木や根にも、かなりのセシウムが付着していて、除染後でもその影響は残ります。たとえ木を伐採しも、抜根をしないかぎり、セシウムは残り、周囲への飛散も心配です。かといって抜根すると、土砂崩れ等のリスクが起きる。そんな場所での学校再開は無謀です」

 

これほどリスクが高いにもかかわらず、学校再開を急ぐ理由は何か――。

 

菅野村長に取材を申し込んだが「年度末で忙しいから」と断られた。

 

だが村長は、「語る会」の中で、「せめてあと5年、延長してほしい」と懇願する子供に対して、学校再開を急ぐ理由をこう説明していた。

「学校再開が遅れたら、村に戻る子供が減っていく。国が復興のために用意してくれるお金もなくなってきて、環境整備も十分にできなくなります。だから、あと5年待つというのは、なかなかできない」

 

村存続のために、子供たちに犠牲になれということか。

「私たちが、村に帰るメリットってなんですか?」

 

冒頭のように、涙ながらにそう訴える女生徒に対して、「まぁ、メリットを一生懸命考えていきたいと思います。帰ったら帰ったで、少人数制の授業ができるかもしれませんし……」と回答。帰還する人が少ないから少人数教育になるのに、それがメリットとは……。

 

また村長は、「僕たちが中3になるときに、村で学校が再開されると、受験勉強に差しさわりが出る」と、訴える男子学生に対して、

「学校再開を先延ばしにしても、また次の学年が同じ思いをする。自分のときだけなんとかしてもらって、あとの人はどうでもいい、という話でいいのか」

と、子供たちがワガママを言っているかのように諭す場面もあった。

 

揚げ句の果てには、津波で親を亡くした子供や、難病で体が動かなくなってしまった子供のエピソードまで持ち出し、「世の中には、大変な状況の中でももっとがんばっている人がいる。その大変さは、みなさんのためになる」と、叱咤激励する始末……。

「まるでマインドコントロールですよね。うちの子も中1だから、”村長さんと語る会”に出席していたんですけど、『自分たちだけよければいいのか』と村長に言われて、悩みながら帰ってきたことがありました。子供同士でも、村の学校に残るのか転校するのかでギクシャクして、その話はタブーになっていたみたいですし」

 

そう話すのは、冒頭の菊田さん。

 

菊田さんは、「飯舘村に戻って暮らすつもりはないが、学校が再開されたら、子供だけ通わせるつもりだった」という。なぜなら、子供が中学に進学する際に、飯舘村の中学に進むか、それとも福島市内の学校に転校するか、さんざん子供と一緒に悩んだからだ。

その結果、「どうしても友達と離れたくない」という子供の希望で、飯舘村の学校(仮校舎)に通わせることにした。

 

一方、「飯舘村で学校が再開するなら転校させるつもり」と話すのは、小学校6年生の子を仮設校舎に通わせている坂下智恵さん(仮名・44)。

「いちばんの不安は放射能です。体育や部活動で外に出るとなると、余計に被ばくしてしまうんじゃないでしょうか」

 

記者が村に問い合わせをした際、「屋外活動について不安を持っている子供や保護者が多いが、どう対処するのか」と聞いたところ、職員から、こんな答えが戻ってきた。

「基本的に、空気中に放射性物質はないと考えているので、屋外活動で吸い込むということはないはず。砂ぼこりが舞うようなときは別ですけど」

 

屋外活動をすれば、舞っている砂ぼこりを吸い込むリスクはあるはずだが……。

 

広島・長崎の被爆者の健康影響を調査している広島大学研究員の大谷敬子さんは、放射性物質を吸い込むことでの健康影響を、こう警告する。

「広島・長崎の被爆者のデータ解析をした結果、原爆投下の数時間後に広島市に入った人や、爆心地から遠く離れていた人たちの中でも、放射線による急性症状やがんによる死亡リスクが上がっているケースが見られます。これは、放射性微粒子を吸い込んだことによる間接被ばく(内部被ばく)が原因だと思われます。しかも、調査によると、年齢が若い女性ほど、リスクが上がっています」

 

これが、そのまま福島に当てはまるわけではない、としながらも、大谷研究員は行政の対応に厳しい視線を向ける。

「放射線の被害というのは、調べれば調べるほどグレーの部分が多い。だから安易に『放射線の影響はない』と言うべきではありません。とくに行政がすべきことは、”影響がある”という前提に立って政策を考えることです」

セシウム137の半減期は30年。1年、学校再開を送らせても汚染が劇的に改善されることはないだろう。村存続のために学校を再開させることは、子供に毎日、被ばくのリスクを負わせることになるのだ。

 

(取材・文/和田秀子)

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