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「気がついたらペン先が指に刺さっていたり、カッターでスクリーントーンを切るときに加減ができず、指を切ったりしてしまうこともあるんです。でも痛みを感じないからいいっていうか(笑)。原稿に血が滴って、初めて『あ!』って気がつくんです」

 

そう語るのは、「たむらあやこ」のペンネームで活躍する漫画家・田村紋子さん(36)。紋子さんは病気の後遺症のために手の感覚がない。目で見て初めて、自分の手がどこにあって何をしているのかがわかる、という暮しを余儀なくされている。

 

今年4月に発売された初の単行本『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』(講談社刊)は、紋子さんの体験をつづった闘病漫画だ。22歳のある日突然、難病のギラン・バレー症候群を発症。病状も家庭状況もきわめて壮絶なのだが、なんとこれがギャグタッチ。寄せられる読者カードには、「笑いながら泣きました」との感想が目立つという。

 

ギラン・バレー症候群は、女優の故・大原麗子さんがかかっていたことでも知られるが、どんな病気なのか。少々長いが、『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』での解説を引用してみよう。

 

《風邪などの後、自分の抗体が自分の神経を攻撃することで起こる自己免疫疾患。軽い手足の麻痺から後遺症の残るものまで症状の重さには個人差がある。年間10万人に1〜2人発症する国が指定する難病》

 

数カ月での治療が一般的だが、紋子さんの場合は自律神経も壊れてしまうというまれに見る重症だった。その闘いは発症から14年になる現在も続いている。

 

漫画家になるきっかけは32歳のとき。講談社がコミックエッセイを募集していることを知り応募。精いっぱい力を振り絞って描いた3話分18枚は、「つらいエピソードほど視点を変えて面白く」をモットーにした『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』の原形である。

 

応募作は見事2位に入賞。さらに’14年には人気コミック誌『週刊モーニング』での連載が決まり、“漫画家たむらあやこ”は誕生した。

 

「知らせを受けたときですか?信じられなくてポカーンというか。それに、原稿の締切りという目の前のことに必死で、喜びに浸る余裕がなかったんです。ほんとに、いつも時間がなくて」(紋子さん・以下同)

 

連載時から「笑って泣ける不思議な漫画」として話題を呼び、とりわけ女性たちからの応援メールが多いという。なかには「ギラン・バレー症候群を患う中学生の娘が、車いすを恥ずかしがって引きこもり、鬱になってしまった」という母親からのメールもあった。

 

紋子さんは、娘さん宛てに単行本を送り、《ちょっとずつよくなるから大丈夫》《最初はイヤでも外出すれば慣れてくるよ》と手紙も添えた。すると−−。

 

「お母さんから返事があって、『最近は車いすで出かけたり、粘土でお菓子のミニチュアをつくったりしています』って。前向きになってくれていると思うと、すごくうれしいです」

 

紋子さんは、まるでわがことのように目を輝かせる。

 

「もちろん病気はつらいです。でも病気になっていなかったら、きっと漫画家にもなっていなかったでしょう。いまほど出会った人たちに感謝できなかったかもしれませんし、世の中が楽しいと思えなかったかもしれません。ときどき考えるんです。病気になった自分と、ならなかった自分。どっちの人生をとるかと聞かれたら、病気になった自分だなって」

 

週2回、いまも紋子さんはリハビリのため病院に通っている。

 

「“描きたいから早くよくなりたい”に始まって、“長く描くために体力をつけよう”になりました」

 

そんな、紋子さんの次回作は、タクシー会社を舞台にしたドタバタのギャグ漫画。また、「今後は水墨画で竜の絵を描いてみたい」と彼女の夢は広がっている。

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