image

 

野田村は、岩手県北部の太平洋に面した小さな村。人口約4,400人。NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』で一躍有名になった三陸鉄道北リアス線が海沿いを走っている。その陸中野田駅から徒歩5分。どこか懐かしい街並みの一角に、村で唯一の寿司店「藤乃寿司」はある。

 

藍染めののれんをくぐると、カウンターの奥から小柄なおばあちゃんが、「いらっしゃい。どうぞ」と、招き入れてくれる。店主の斉藤トミエさん(77)だ。チェックのかっぽう着がかわいらしい。身長150センチあるかないかのトミエさんは、女性では珍しい寿司職人。寿司を握り続けて半世紀。77歳にして現役だ。

 

長女の明美さん(51)は奥のキッチンで煮物、焼き物などの調理を担当。母と娘で切り盛りする寿司店は今年で創業53年になる。

 

「人生は七転び八起き。昔の人はよくそう言いましたよ」

 

これがトミエさんの口癖だ。失踪して行方知れずの夫が残した借金を完済し、借地だった土地を購入して、店舗兼自宅を建て替えたのは55歳のとき。そのローンも10年ほどで完済し、寿司を握り続けているさなか、’11年に東日本大震災が発生する。太平洋沿岸の野田村にも最大約18メートルという津波が来襲。死者は37人、建物流出・全壊は311棟と甚大な被害がでた。

 

3月11日、大きな揺れのあと、近くに住んでいる明美さんはすぐにトミエさんを車で迎えに来て、高台にある自宅に避難させた。だがテレビもラジオもない状況だったため、避難の直後に津波が村を襲ったことは、後で知ったという。

 

後日、店に戻ってみて2人は驚いた。冷蔵庫は倒れ、畳とテーブルが折り重なって、足の踏み場もない。泥がいたるところに入り込み、店内はめちゃくちゃな状況だった。藤乃寿司のある地区は、家屋の倒壊こそ少なかったが、1〜3メートルの浸水被害に遭っている。いまでも入口のサッシには、1メートル80センチほどの高さのところに津波の跡が残っている。灯油がいたるところに流れ出し、未開封の酒まで灯油臭くて飲めなくなっていた。

 

「どれほどの水の強さだったのかと思いますね」(トミエさん・以下同)

 

だが、トミエさんには意気消沈している暇はなかった。頭に浮かぶのは、少しでも早く寿司店を再開することだった。野田村の銀行は津波で流されてしまっていたため、久慈市の銀行に相談に行くと、「野田村が復興するかどうかもわからないのに、再開資金なんか融資できませんよ」と言われて泣きたくなったが、トミエさんは再び自分に言い聞かせたという。

 

「人生は七転び八起き!」

 

トミエさんのために、なじみの大工さんや家族、親戚も片付けを手伝ってくれて、藤乃寿司は震災発生から49日という驚異的な早さで営業再開を果たした。

 

「村にある店では(再開)第1号でしたね。村のみんなが集まるところがないと大変じゃないかな、と思って急いだんです」

 

座敷の畳も間に合わず、代わりにマットを敷くしかなかったが、店に明かりがともると、ぬくもりに引きつけられるように続々と客がやってきた。自宅を失った人も、家族を亡くした人も集まって、お互いの無事を確認し、震災の経験を語り合い、慰め合った。そんな客たちをカウンター越しに眺めながら、トミエさんは寿司を握った。

 

「皆さん、すごく不安だったと思います。皆で話す場所がほかになかったから。早く再開できて本当によかった」

 

トミエさんはことあるごとに「お客さんが店を育てた」と、村の人に感謝する。客も「かあちゃんに話を聞いてもらって、ホッとした」と、感謝する。だから藤乃寿司は温かい。常連客の1人は「ここは野田村のオアシスなんですよ」と話した。

 

「できる限りがんばりたいと思います。動けるうちはなんとかね。寿司を握りながら死にたいと思ってますよ。あれ、かあちゃん、昨日まで稼いでいたっけが?というふうに」

 

トミエさんはこれからも寿司を握り続ける。野田村を見守りながら。

関連カテゴリー:
関連タグ: