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梅雨のさなかの6月半ば、都内の赤坂見附駅からほど近いビルの2階「赤坂動物病院」の待合室では、ペットを連れた幾人もの飼い主が名前を呼ばれるのを待っていた。午後8時を過ぎても患者がやって来るのは、「365日開院・夜間急患対応」を実施しているからこその光景だ。どの飼い主の顔も、家族同然の犬や猫の健康状態が芳しくないせいか、どこか不安げだ。

 

「こんばんは。あら、ピッピちゃん。少々辛い抗がん剤の治療も終わって頑張ってますね」

 

人間でいえば老年期の15歳のミニチュアピンシャー犬に声をかけたのは、総院長の柴内裕子先生(81)。首に聴診器をかけた、小柄な白衣姿が待合室に現れただけで、雰囲気が一瞬で明るくなった。

 

「この子はね、2年前から悪性腫瘍を患っていて、抗がん剤治療も行っていました。でも今は大丈夫!長生きしようね」(裕子先生)

 

ピッピの黒い小さな頭をやさしくなでる先生の隣で、飼い主の女性が「裕子先生との出会いは、もう30年前の先代の犬のときからです。かみグセがあり、困ってNHKラジオのペット相談室に電話したら、たまたま裕子先生が担当で、本当に親身になって答えてくださって。それ以来、このピッピで犬も2代目、飼い主の人間も私から娘へと2世代にわたってのお付き合いです」と話す。

 

「うちはね、みなさん、2世代、3世代の長〜いお付き合いです。というのも私は“日本最古の女性獣医師”ですから」(裕子先生)

 

“日本最古”という自己紹介は裕子先生の定番だが、決して大げさな話ではない。獣医師を志すきっかけは、戦時中にまでさかのぼる。少女のころにかわいがっていた犬や動物を、理不尽な戦争のため次々に失った体験からだ。その決意を貫き、この赤坂で、日本で初めて開業した女性獣医師となったのが27歳のとき。

 

「当時は、ほとんどの動物病院にレントゲンもない時代。フィラリアの予防薬もなく、犬の寿命も7〜8年という、日本のペットと飼い主にとって実に不幸で情けない時代でした」(裕子先生)

 

世界から30年はゆうに遅れていたというペット環境途上国の日本社会のなかで、裕子先生は前出のペット相談や飼育書の出版などの啓発活動に加え、いちはやくアニマルセラピーを導入。ペットを連れて小学校や病院などを訪問する「人と動物のふれあい活動(CAPP)」は、昨年30周年を迎えた。

 

おととし、院長職は長女の晶子先生(53)に任せて総院長となったが、もちろん今も現役で、ときには手術も行う。

 

「私は、母方の祖母と猫に育てられました(笑)。物心ついたときの母の記憶は、ハイヒールを履いて出ていくポニーテールの後ろ姿です。深夜に急患が出たときも、毛布にくるまれて、やはり祖母に預けられていました」(晶子先生)

 

晶子先生は、それで寂しい思いをしたことはなかった、とふり返る。

 

「うちの母は、動物と人の幸福のために頑張る、そういう使命を持つ人なんだと思っていました。もともと画家志望だった私が大学に入り直して獣医師を継いだのは、母の後ろ姿をずっと見ていたからかもしれません」(晶子先生)

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