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■応仁の乱はなぜ起こったのか?

 

「応仁の乱」関係の書籍が売れているが、登場人物が多すぎて、よくその内容がわからないという話を聞く。そもそもなぜ応仁の乱は起こったのだろう?

 

歴史の授業で習ったものの、いざ質問されると答えに困る人も多いのでは? 今更だけどざっくりと知っておきたい……、そんなお願いを歴史の専門家にぶつけてみた。

 

答えてくれたのは、TV番組でもおなじみの歴史研究家・河合敦先生だ。

 

河合先生は昨年までの27年間、高校の日本史教師として教壇に立っていたキャリアを持ち、歴史関連の著書も多数。特に近著『日本史は逆から学べ』(光文社知恵の森文庫)が早くも5刷りと好調だ。

 

■そもそもは“家督争い”だった

 

「『応仁の乱』をシンプルに言えば、将軍家と有力守護大名家の“家督争い”です。将軍家では、8代・足利義政が息子に恵まれず、弟の義視を後継者とします。が、その後に妻・日野富子が妊娠し男児を出産するんですね。本来ならめでたい話ですが、この男児誕生が後継争いの火種となってしまう。同じころ管領(将軍の補佐職)家の斯波氏と畠山氏でも家督争いが起きていて……」(河合先生/以下同)

 

つまり、将軍家や管領家のお家騒動が重なり、大乱になったということ?

 

「そうですね、様々な要因が絡んでいますが、一番ベーシックな答えとしては“家督争いが原因”です。将軍の弟が後継だと決まっていても、将軍の妻・富子は我が子を将軍職に就けたいワケです。そこで彼女は有力守護大名の山名持豊を頼りました。一方の義視は管領の細川勝元を頼ります。同じころ斯波氏と畠山氏でも家督争いが起きていて、彼らもやはり山名と細川を頼るようになり、次第に多くの守護大名が利害関係から細川・山名の二派に分かれていくんです。その結果、1467年に京都を主戦場として、応仁の乱が起こります。終結まで11年もかかりますが元をたどれば“お家騒動”ですね」

 

■背景にあるのは将軍の権力の弱体化

 

お家騒動から11年も続く大戦争になったとは……。

 

ここで素朴な疑問だが、なぜ将軍家の人間が家臣である守護大名を“頼る”構図になったのだろう? 足利家内部のお家騒動で収まれば、応仁の乱という大きな戦は起きなかったのでは?

 

「実はこの頃、将軍の力が弱体化していたのです。当時の幕府の実権を握っていたのは、山名や細川などの有力守護大名たち。将軍家も管領家もそれを分かっていたから、彼らを頼ったのですね」

 

なぜ、将軍の力が弱まっていたのでしょうか?

 

「それは“幼君が続いたから”です。室町幕府の7代・8代将軍は、どちらも幼くして将軍職に就いています。そのため実際の政治は有力守護大名に頼らざるを得なくて、実権が彼らに移ってしまったんです。ではなぜ幼君が続いたのかといえば、その前の将軍である6代・足利義教が暗殺されてしまったから、なんです」

 

■暗殺された6代将軍の手本は父・義満だった?

 

え、暗殺された将軍がいるんですか!?

 

「ええ。6代将軍・足利義教は数奇な運命をたどった人物です。そもそも将軍に選ばれたのもくじ引き。“くじ引き将軍”といえばピンとくる方も多いでしょう。

 

なぜ彼が暗殺されたのかといえば、あまりに暴君だったから。6代・足利義教は父親である3代・義満の真似をしたとされていますが、義満は南北朝の合一を成し遂げ政権を安定させるために強権政治を行った人物です。

 

室町幕府は足利尊氏が光明天皇(北朝)を奉じて建てた政権ですが、尊氏に敗れた後醍醐天皇は京都から逃れて吉野に新たに朝廷(南朝)を立ち上げます。その後60年もの間、南北朝に分かれてしまいます。これを合一するために強権政治を執ったのが、尊氏の孫である3代・義満。そこに成功例を見出し、独裁政治を行い、暗殺されたのが義満の息子の6代・義教。その結果、7代、8代と続く2代にわたり、義教の幼い息子らが将軍となったことで、将軍権力は弱まっていき、有力な守護大名が力を握るようになるのです。その結果が応仁の乱に繋がっていくわけです」

 

■歴史を逆から学んでみよう

 

そうやって「なぜそうなったのか?」と遡ってみると、南北朝を合一した手腕が、後々の幕府崩壊の遠因になっているようにも見えますね。

 

「歴史は様々な見方、解釈ができますから面白いですよね。応仁の乱という切り口を一つとっても逆から紐解いていくと、室町幕府の成立までさかのぼって、将軍たちの目指したものや関係性などを見ることができます。また『なぜ?』『どうして?』という問いを重ねて歴史を振り返る方法自体が、教科書で学んだこととは違った側面を見せてくれることも多いですね」

 

河合先生は近著『日本史は逆から学べ』(光文社知恵の森文庫)で、日本史を逆から紐解く作業を通史で行い、執筆されたという。

 

「応仁の乱に限らず、歴史的事象を一つの“とっかかり”にして逆から読んでくと、そこに至るまでの歴史の大まかな流れが見えてきます。同時に、歴史上の人達の思考や『なぜそう考えたのか?』という動機をとらえやすくもなります。日本史には様々なアプローチ法がありますから、もし学校での授業を単調に感じてしまった人がいたら、ぜひ逆から学ぶ方法を試していただきたいですね。今は“応仁の乱ブーム”とも言われていますから、こういった機会に、一人でも多くの方に日本史の魅力を知ってもらえたらと思っています」

 

 

【著者略歴】

河合敦(かわいあつし)

1965年、東京都生まれ。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。『世界一受けたい授業』(日本テレビ)など、テレビ出演も多数。主な著書にじっぴコンパクト新書シリーズ『世界史もわかる日本史』『世界史もわかる日本史<近現代編>』(ともに監修/実業之日本社)のほか、『吉田松陰と久坂玄瑞』(幻冬舎新書)、『外国人がみた日本史』(ベスト新書)などがある。

 

 

『日本史は逆から学べ』

 

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著者:河合 敦
価格:780円+税
出版社:光文社 知恵の森文庫

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