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「国境なき子どもたち」は、国際的な医療・人道援助を目的とした非政府組織「国境なき医師団」の日本支部から派生し、独立した認定NPO法人。’97年の発足以来、この20年で15の国と地域で、延べ8万人以上の子どもたちに生活の場や教育の機会を与え、職業訓練を行うなどして、その自立を助けている。

 

特徴的なのは、支援の手が最も届きにくい15歳以上の青少年を主な対象としていること。人身売買の被害に遭ったり、自然災害、紛争などで親を亡くし、路上生活を余儀なくされた子どもたちに手を差し伸べている。

 

寺田朗子さん(71)は、’92年の「国境なき医師団日本」の開局当初からのボランティアスタッフで、’98年から7年間、「国境なき医師団日本」の会長を務め、’09年、認定NPO法人「国境なき子どもたち」の会長に就任。現在も会長として活動を続けている。

 

まさに両組織の生みの親ともいえるのだが、その口癖は、「私は何もしてないの」。うふふとほほ笑みながら、寺田さんはこう言った。

 

「だって、本当にそういう感じですよ。それこそ普通の主婦だったんですから、私」(寺田さん)

 

謙虚で率直な人柄は多くの大人たちを、そして、子どもたちをも魅了する。

 

’46年5月16日、東京・渋谷で生まれた寺田さん。幼稚園から高校まで、女子校の名門・雙葉学園で学んだ。その後、フランス語の教師になろうと、東京外国語大学フランス語学科へ。超難関だった留学のための奨学金制度「サンケイスカラシップ」に合格し、大学3年の秋から1年間、フランスのグルノーブル大学へ留学を果たす。留学の年に開催されたグルノーブル冬季五輪の開会式で、コーラスグループの一員としてフランス国歌を歌い、日本選手団の通訳を務めた。

 

充実した留学生活を送り、’68年夏、帰国。帰国の翌年、大手メーカーに勤めていた5歳上の保信さん(現・寺田倉庫会長)と結婚する。学生結婚だった。大学に籍を置いたまま、24歳で長男、26歳で次男を出産。28歳で大学を卒業し、同じ年の秋に長女を出産。

 

子育てが一段落すると、寺田さんは同窓会の手伝いを始めた。最初は雙葉の、やがては外語大の同窓会も手伝うことになり、しだいに人脈が広がり、それが新たな出会いを運んでくることになった。

 

「フランス語のできる人、いないかな。今度、フランスに本部があるNGOの人間が日本に支部を開設しに来るんだけど、手伝わないか?」

 

外語大の先輩から、そう声をかけられたのは’92年12月。寺田さんは46歳になっていた。「会うだけ、会ってみてよ」と言われ、先輩が経営する会社に出向くと、大柄なフランス人男性が待っていた。「国境なき医師団」の日本支部開設のため、パリから派遣された、40歳を超えたばかりのドミニク・レギュイエさん(65)だった。彼女はボランティアスタッフ第1号になった。

 

それから5年、ドミニクさんを事務局長に、数人のスタッフで活動を続けていた「国境なき医師団日本」は、’97年、法人格取得の準備を開始。翌年、初代会長の辞任に伴い、会長に推された寺田さんは軽い気持ちで引き受けた。

 

「実務はドミニクやスタッフがやってくれますし。1~2年で交代してもらおうなんて、思っていたんです」(寺田さん)

 

ところが、会長就任直後の’99年、「国境なき医師団」は28年間の人道援助活動が評価され、ノーベル平和賞を受賞し、事態は一変する。寺田さんは、日本支部の代表として、12月10日、ノルウェー・オスロで催された授賞式に、多くの国の代表とともに出席することに。

 

「あの授賞式で、すべてが変わっちゃいましたね。取材や講演依頼が山ときて」(寺田さん)

 

寺田さんの講演は、年間50回を超え、イギリスやフランスにも招かれた。

 

「忙しかったし、しんどかった。でも、こんな思いができるのも、神様からのプレゼントかなと。普通の主婦だった私が、こんなご褒美をもらっていいのかしらって。だって、私は何もしていないんだもの」(寺田さん)

 

そんな彼女を25年、見つめてきた盟友・ドミニクさんはこう話す。

 

「寺田さんは、切手貼りや電話番といったベーシックな作業でも、皇族の方々への連絡といったレベルの作業であっても、同じように快く引き受け、なし遂げてくれる。その柔軟性は素晴らしい才能です。彼女は、エネルギッシュで、どんなことにも熱意を注ぎ込む。専業主婦とノーベル賞授賞式は、とても遠いものに思われるかもしれませんが、彼女のような姿勢があれば、どんなことでも可能なのです」(ドミニクさん)

 

「国境なき医師団」の「子どもレポーター」(現在は、「国境なき子どもたち」の「友情のレポーター」)は’95年から始まっている。

 

当初は日本の子どもを「国境なき医師団」の活動拠点に派遣し、現地の医療支援をレポートしてもらう活動だった。しかし、その後も現地の子どもたちとの交流が続くなかで、さまざまな状況や現実が見えてきて、教育支援など活動は多岐に渡っていく。

 

こうして「国境なき医師団」の日本の青少年向けプロジェクトは「国境なき子どもたち」というNPO法人に成長。寺田さんは会長に就任する。

 

「両方の活動を通して、私は数えきれないくらい宝物のような出会いをもらったんです」(寺田さん)

 

現在、「国境なき子どもたち」は日本、カンボジア、フィリピン、バングラデシュ、ヨルダン、パレスチナ、パキスタンの7カ国でその活動を続けている。寺田さんは、専業主婦時代から何も変わっていないのかもしれない。目の前の子どもたちの成長を、見逃すことなく、見つめていきたいと願うだけだ。