「相撲協会は『伝統』と『人命』のどちらが大切だと思っているのか。女性に対して失礼だし、対応に疑問を抱いています」(50代女性)
4月4日、京都府舞鶴市で行われた大相撲春巡業で、土俵上で倒れた男性の救命措置を施した女性に、行司が「女性の方は下りてください」とアナウンスしたことについて、怒りの声は高まるばかりだ。
さらに8日、静岡市駿河区に開かれた春巡業でも、力士が土俵で子どもに稽古をつける「ちびっこ相撲」に参加予定だった小学生の女の子が、日本相撲協会からの要請で土俵に上がれなかったことが判明した。
「江戸時代から親しまれている大相撲ですが、『土俵は女人禁制である』と取りざたされたのは、じつは’70年代、子供相撲の女子代表が国技館の土俵に上がれず、参加を拒否されたことからです。その後、森山眞弓元官房長官、太田房江元大阪府知事らが、表彰のために土俵に上がることを拒否されて以降、問題が表面化しています」
こう語るのは、文化人類学が専門の慶應義塾大学名誉教授の鈴木正崇さんだ。「人命」より優先してまで守る「伝統」とは何なのか。
そんななか、最近、460年もの“女人禁制”の歴史を変えたのは、古武道の宝蔵院流槍術、第二十一世宗家の一箭順三さんだ。
「戦国時代、興福寺の子院である宝蔵院の住職が流祖になります。通常、槍は先がまっすぐですが、宝蔵院流は十字形で、重い。敵の槍を巻き込んだり、引き落としたりする槍術なんです」(一箭さん・以下同)
その実践的な宝蔵院流は槍の一大流派となり、江戸時代には4000人の門下が集まったという。
「槍は武家の男子が習うものであって、その後も男性ばかりに継承されました。いっぽうで、背筋をまっすぐにして腰を落として槍を構える姿は美しく、10年ほど前から女性からの問い合わせを受けるようになったんです」
そのたびに一箭さんは「男性のみ伝承してきた歴史」と断っていたが、自分でもなぜ女性ではダメなのか、明確にわからなかったという。
「そんな私の説明に相手の方が納得されたかどうかわかりませんが、当時の方たちには気の毒な思いをさせてしまったと思っていました」
男性だけでも仲よくやっていたし、継承者もおり、何も困らない。だが、“女人禁制への疑問”が根強く心に残っていたという。
「それで一昨年の10月、免許皆伝者を集めた会議で、女性を入れることを提案しました。『伝統を、あえて変えなくてもいい』という意見もありましたが、いちばん大事なのは宝蔵院流の技を継承していくこと。後世に伝えていくのに、男女は関係ないのではないかという結論になったんです」
昨年1月から女性を募集し、4月には女性3人が入会した。
「長くて重い槍は、女性には負担です。でも1回2時間の稽古を年間30回以上こなし、さばき方にもなれ、上達しています。今年の4月7日には、史上初の女性の昇級者が出て、うれしく思っています」
宝蔵院流のように、伝統を変えることには反対意見も当然生まれる。だが、前述の鈴木さんはこう指摘する。
「変わらない伝統は、途絶えてしまうもの。段階的にでも、時代に即した変化を続けなければ、次世代に伝えていけないのではないでしょうか」