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人なつこく、素直で、偉ぶらず、素朴。デビュー作で芥川賞を取った若竹千佐子さん(64)は、およそ作家らしからぬ人だ。そんな“平凡な専業主婦”が作家になれたのは、最愛の夫の死の裏に“自由の喜び”を見つけたから。そして、主婦のタブーを小説にした。「人のために生ぎるのはやっぱり苦しいのす」と――。

 

「不思議、不思議、本当に不思議……いまでも『これは夢だべか?』と思います」(若竹さん・以下同)

 

昨年、デビューした64歳の新人作家・若竹千佐子さんは昨秋、新人作家の登竜門・文藝賞を史上最年長で受賞。それを機に出版されたデビュー作『おらおらでひとりいぐも』(河出書房新社)は、年が明けると今度は、第158回芥川賞を受賞した。

 

小説の主人公は、子どもが独立し、夫に先立たれた74歳の“桃子さん”。「どうすっぺぇ、この先ひとりで何如にすべかぁ」と、自らの内側に響いてくる生まれ故郷の言葉たちと向き合いながら、孤独をかみしめる日々を描く。特筆するような事件は、何も起きない。若竹さんいわく「出来事としては、なんもないの、なんにも起こらないんです。ぜーんぶ頭の中だけのこと」。

 

主な登場人物は桃子さんひとり。頭の中から彼女の本音とも思える東北弁が次々にあふれ出し、本体の桃子さんと、脳内の声たちが、ああでもない、こうでもないと、かしましい議論を交わすのだ。単行本は、すでに50万部を突破。賞の審査員を務めた先輩作家らをうならせ、数多の読者のハートをつかんだ若竹さんのデビュー作は、ミリオンセラーへの道をひた走る。

 

若竹さんは’54年、桃子さんと同じく、東北は岩手県遠野市で生まれた。本を読むのが大好きだった子ども時代。図書館のたくさんの本が並ぶ書棚に、自分が書いた本も1冊加えたい。小説家になりたい。それが夢だった。高校卒業後は岩手大学教育学部に進学。

 

28歳のとき、3歳年上の見合い相手で父親が経営する会社を手伝っていた和美さんと結婚。新婚生活は遠野で始まった。長男を授かったが、若夫婦は故郷での暮らしに息苦しさを覚え、’85年に家族は上京。世はバブル景気。夫・和美さんが就いた建築関係の仕事は順調で、生活も軌道に乗り、長女も誕生する。

 

当時を振り返り、自然と笑みがこぼれる若竹さん。「幸せな家庭の主婦だったんですよ」と何度も繰り返す。

 

「ただね、ひとりになったときに、ふと寂しくなることがあって……」

 

徐々に子どもの手が離れ、時間に余裕がでてくると、どこか遠くから声が聞こえてくるような気がした。少女時代は寂しいとき、いつも図書館に行っていた。不惑手前の若竹さんは、寂しさの答えを求め、近所の図書館に通うようになる。そこで心理学や女性学の本に出合い、むさぼるように読んだ。

 

「私の心根の中に『わかりたい』という気持ちと『わかったことを、面白おかしく表現したい』という強い気持ちがありました。その2つができれば、私は満たされるということが、だんだんわかってきたんです。図書館で読んだ本の中身を私の中に取り込んで、私の血肉にしたい。そして、今度は自分の言葉で表現したい。それはつまり、やっぱり小説を書きたいということだった」

 

試行錯誤を繰り返し、やっと書きたいテーマが見つかってきた。本腰を入れて小説に取り組みたいと考え始めたちょうどそのころ――57歳の若さで夫・和美さんが急逝する。

 

「夫は図書館に本を返しに行く、と家を出たんです。でも『肝心の、返す本を忘れてしまったよ』と戻ってきて。それで『もう、忘れんぼなんだから』とかなんとか、冗談言って、2人で笑って、改めて送り出しました。それが最後の会話。その直後、あの人は脳梗塞で倒れてしまって……」

 

和美さんの生前、2人は近所でも評判のおしどり夫婦だった。現在は会社員の若竹さんの長男(35)は、当時をこう振り返る。

 

「父の死後、母は放心状態でした。葬儀は私が手配し、なんとか乗り切りましたけど、父が死んでからもかなり長いこと取り乱していましたね。私がいつ実家に帰っても、ずっと泣いてました」(長男)

 

長男や長女(29)が母を心配するたび、若竹さんは涙をこぼし、こう問いかけた。「ねえ、お父さんは、幸せだったよね?」。そう確かめずにいられなかったのには、理由がある。

 

「夫が亡くなる直前、小説を本格的に書き始めた私がつねづね思っていたのが……自分のすべての時間を、この小説を完成させるために使いたいということだったんです」

 

しかし、家事や夫の身の回りの世話など、主婦である若竹さんは夫婦の暮らしの維持に時間を割かなくてはならない。それが、もどかしかった。

 

「もちろん、夫が嫌いということじゃない。けれど、“私は私で生きたい”と思い始めてたんですよ。そしたらば、夫が突然、死んだ。だから、夫が死んだのは、私がそんなふうに思ったせいなんじゃないかと……」

 

夕飯の買い出しに出れば、夫の好物に手が伸びる。そのたびに、胸がキリキリと痛むほどの孤独と自責の念に駆られた。その日も、そんな思いにさいまなれた午後だった。

 

「仏壇の前で、何もやる気がおきなくて、ゴロンと横になって目を閉じたんです。やっぱりめそめそと泣きながらね。どれくらい、そうしていたのかわかりませんが、不意に目を開けたら強い光がバーッと目に飛び込んできたんです。障子の桟のくっきりとした影が畳に延びていました。その光を『わ、きれいだな』と思った瞬間、頭の中にはっきりとした声が聞こえたんです。『自由だ! おらは自由だ!』って」

 

驚いた。悲しみに暮れるあまり、おかしくなったと思った。そして、ひとりぼっちの部屋で、声に出して聞いた。「誰なの? おめだば、誰だ?」(お前は誰だ?)。心の中の声は答えた。『おらだば、おめだ』(私はお前だ)。

 

「その直前まで、めそめそ泣いて、ひとりぼっちの寂しさにどっぷりとつかっていたのに。光が見えて、その声が聞こえた途端『そうだ、私は何をやっても自由なんだ!』って。絶望のなか、私は喜んでいる私の心を見つけてしまったんです」

 

家庭の主婦として、若竹さんは幸せだった。けれど、妻というのは、いわば副班長で、決して班長ではない。夫を立てる応援団として生きていたことを、若竹さんはこのとき、まざまざと知ったのだ。

 

「人は、本心では、誰も脇役の人生なんて生きたくないんですよ。自分が主人公の、自分の人生を生きたいと思ってる。でも、私の世代の女の人っていうのは、夫のため、子どものために、羽を縮めてるところがある。いくら夫や子どもを愛していても、どこかに『自分はもっと自由に空を飛びたい』という気持ちを持ったまま、自分の羽を小さく畳んでいる。それが、子どもがひとり立ちし、夫が亡くなって、なんでも自分で決めて自分で動かないといけなくなった。それはとても寂しいことだけれども、逆から見れば、自由ということなんです」

 

夕方6時になっても、まだ好きな本を読んでいられる。本当はあまり好きではなかったテレビの野球中継を消しても、誰にも文句を言われない。そんなささいなことでも、自分で決めたことを自分で実行できる喜びに、若竹さんは気づいてしまった。

 

「夫が死んだことを『うれしい』だとか『自由だ』なんて言っちゃうのは、タブーですよね。でも、そういう気持ちを抱いた私がいるということを、ちゃんと書いてやろうと思ったんです。そうしないとフェアじゃない。私の心を本当に表現したことにならないから」

 

自らが主人公の人生を歩む――若竹さんは力強く爽快な宣言とともに、小説家として、第二の人生を歩み始めた。

 

「小学生のころから『図書館の本棚に私の本が1冊あればいいな』とずっと思ってきました。でも、1冊だけだと倒れちゃうよね。だから、並べても本が倒れない程度に、あと何冊かは、書かなくちゃ」

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