「最近でこそだいぶ減ってきましたが、子どもたちが描く絵を見ると、以前はかなりの割合で戦争の絵がありました。戦闘機や戦車、人が撃たれて血を流している場面や、横たわる死体を描く子もたくさんいて。見ているこちらのほうが、本当につらくなりましたよ」
そう話すのは、国際協力NGO「国境なき子どもたち(以下・KnK)」のシリア難民支援・現地事業総括の松永晴子さん(38)。
’11年から内戦状態に陥ったシリア。つい先日も、アサド政権が化学兵器を使用したとして、米英仏の3カ国が空爆を実施するなど、戦闘終結のめどは一向に立たない。
世界各国で、子どもたちの教育と自立を支援しているKnKのなかで、松永さんが活動しているのは、シリアの隣国・ヨルダン。内戦が勃発した7年前から、およそ66万人のシリア人が、難民としてヨルダンに流入している。
ヨルダンで松永さんたちKnKは、同国の教育省と手を組み、多いときには4,000人以上の難民の子どもたちを支援してきた。その活動内容は、アクティビティや歌、踊り、さらに演劇や作文などを取り入れた授業を行うことで、傷ついた彼らの心を癒し、学校に通う意欲を少しでも高めてもらおうとしてきた。また、欠席が続く生徒の家庭訪問をして、学校に足を運ぶよう働きかけたりもしてきた。
「ひとくちに難民と言っても、全員が難民キャンプで暮らしているわけではないんです。ヨルダンのシリア難民の場合、キャンプで生活している人は全体の2割ほど。多くは一般市民とともに町でアパートを借りて暮らしています」
町で暮らす難民の子どもたちは、ヨルダンの子と同じ学校に。だが、生徒数が急増し、教室が足りない学校では午前がヨルダン人、午後がシリア人と2部制をとった。
「すると、どうしてもいざこざが起きる。同じ学校に通っているのに、国籍が違うというだけで仲よくできないなんて、健全じゃありませんよね」
そこで松永さんたちは、双方の子どもが参加できる授業を開いた。
「シリア人、ヨルダン人混成でチーム競技をし、一緒に学校の美化運動も。さまざまなことに共同で取り組んでもらうことで、自然と彼らは打ち解けたんです。国籍を超え相互理解を深めることは、KnKの支援の、大きな目的の1つでもあるんです」
キャンプの外では、難民も自立が求められる。だが、そもそも失業率が高いヨルダンで、シリア人難民の彼らが就けるのは肉体労働など、限られた職種だけなのが現実だ。
「そのうえ、本来なら大黒柱の父親が、戦闘に巻き込まれ負傷して体に障害が残っていることも。そうなると、家計を支えるため子どもが働きに出ることになり、学校をドロップアウトしてしまうんです。以前、家庭訪問で出会ったあるお母さんは、つらそうにこぼしました。『仕事から帰るたび息子が、また学校に行きたいと泣くんです』って」
KnKは、学校に通えない期間が長かった子どもが復学するための補習授業も行ってきた。さらに、昨年からは難民キャンプ内の子どもたちのキャリア教育にも注力している。
「難民キャンプで暮らす子どもたちに『将来、就きたい職業は?』と尋ねると、多くの子が『学校の先生』とか『お医者さん』『看護師さん』と答えるんですよ」
ここまで話して、松永さんは顔を曇らせた。
「立派な答えと思いますよね。でも、難民キャンプで暮らす彼らの口からは、ほかの職業はまず出てこない。それは、子どもたちの身近に教師、医師、看護師以外の仕事をしている大人がいないからなんです」
そこで松永さんは、同じくキャンプで暮らす大人、子どもたちの親に頼んでまわったという。
「シリア時代の仕事について、子どもたちに説明してほしいとお願いしました。どういう勉強をすればその仕事に就けるのか、その職業にはどんな魅力があるのかを、具体的に子どもたちに話してもらうんです。でも……親御さんたちは『よかった時代を思い出すのはつらい』と協力を拒む方も少なくない。ある意味、子どもたち以上に、大人も傷ついているんです」
祖国での暮らしを懐かしむ人は多い。停戦協定の一報が流れるたび、淡い期待を抱き帰国を選択する難民もいる。
「仕事仲間の年配の女性教師に打ち明けられました。『私の息子はもう安全だと信じて帰ったそのすぐ後に、空爆で死んだんだ』と。また、KnKの仕事をしていた20代半ばの女性スタッフは『大学に進みたいけど、難民キャンプでは無理だから』と、3年ほど前にシリアの親戚を頼り帰国したんです。以来、彼女とは連絡が取れていません。無事でいてくれるといいんですが」
泥沼の内戦で、故郷から離れ、隣国ヨルダンで生きるシリア難民たちに平和はいつ訪れるのか――。