「まず私は、『この“鼻血騒ぎ”自体が不安を煽る』と言う政府や行政の人に言いたい。『不安があるのは当たり前でしょう!』と。原発周辺は全然収束していないし、タンクもいつ漏れるかわからない、原子炉の中も誰もわからない状態。政府は、この事故の責任があるんだから、この問題を否定するのであれば、『もっと事故現場をしっかり管理しなさいよ』と言いたい」
そう語るのは、崎山比早子さん(74)。反原発運動に大きな影響を与えた故・高木仁三郎さんが始めた高木学校のメンバーだ。’11年12月から半年間、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員も務めた。
騒動のきっかけは、4月28日発売の『週刊ビッグコミックスピリッツ』(小学館)の「美味しんぼ」で、主人公で新聞記者の山岡士郎が福島第一原発を取材後に疲労感を訴え、鼻血を流す場面だった。
さらに双葉町の前町長の井戸川克隆氏(67)が実名で登場し、「福島では同じ症状の人が大勢いる」と発言。これらが放射能との関連を強く連想させ、5月7日、双葉町が「福島県民への差別を助長させる」と小学館に抗議。石原環境大臣や根本復興大臣ら閣僚からも「風評被害を招きかねない」と苦言が続いた。
漫画の中に実名で登場する岐阜環境医科学研究所長の松井英介さん(76)はこの騒動を受けて次のように話す。
「私は双葉町のアドバイザーも務めました。みなさんのいちばんの不満は『自分たちの生活を元に戻してくれ』ということ。生活を根こそぎ奪われてしまったことが最大の問題です」
福島では以前のような生活を取り戻すことはできるのだろうか。実際に福島で暮らす人々の生活の現場では、鼻血などの健康面の不安だけでなく、もっと切実な問題も存在した。
「私はお母さん方の相談をよく受けますが、被災後のストレスの多い生活のなかでイライラしたり、うつ状態で落ち込んでいるお母さんもいるし、夫からのDVに悩んでいる女性もいます」
こう語るのは、南相馬市で小・中・高校生対象の塾『番場ゼミナール』の経営者で、震災後、若いママや高齢者の悩みを聞く「ベテランママの会」を設立した番場さち子さん(53)。番場さんは子供へのしわ寄せも大きくなっていると言う。
「東京の大学に入った子がサークルなどで自己紹介するとき、『福島の南相馬市出身です』と言うと、ざわめきが起きるそうです。自分の故郷のことを口に出したくなくなる傾向があります。『高校時代や福島の話をできない』と、引きこもってしまった子もいます」(番場さん)
また、将来母親になる若い女性の不安もある。現在、福島県は18歳以上への甲状腺被ばく検査の必要性を認めていない。この点について、冒頭の崎山さんは、専門家の見地からこう話す。
「福島県の言う『チェルノブイリでも甲状腺の影響はほとんどが15歳以下の人にしかでていないという例があり……』というのは、嘘ですよ。チェルノブイリでは、事故当時27歳以上の大人でも甲状腺がんが増えていると報告されています」
正しい情報がなんなのかわからないまま、福島に暮らす人たちの不安ばかりが増している。だが、岐阜環境医科学研究所長の松井さんは、今回の騒動にも意味があると言う。
「『美味しんぼ』の鼻血の騒動が、新しい話し合いの渦を生み出しています。この機会に、改めて3・11事故がもたらした健康と命の危機について、話し合い、考え、行動することができればよいと思います。今までに経験したことのない状況下で苦しんでいる人たち、特に子供たちに思いをはせることが今、最も求められているのだと私は思います」