「私ね、復興だとか絆だとかって言葉を政治家が口にするのが、ホント嫌いなんです。選挙のときだけやって来て、『復興、復興』って。先日も街頭演説を聞いて私、かみついてやったの。『私ら住民をまた危険にさらそうとしておいて、何が復興だ!』って」

 

こうは話すのは、福島県南相馬市原町区の仮設住宅で暮らす林マキ子さん(66)。先の総選挙。選挙戦第一声としてここ福島で「復興の加速化」を誓った安倍晋三総理率いる自民党が大勝した。その勢いのまま、安倍政権は日本各地の原発の再稼働を推し進めようとしている。さらにいま政府は、ここ南相馬の「特定避難勧奨地点」の解除を進めようとしているのだ。

 

原発事故後に指定された警戒地区や計画的避難区域という用語を覚えている読者は少なくないはず。高い放射線量から、居住はもちろん、立ち入りも厳しく制限されたこれらの地域だが、そのほかにもじつは「ホットスポット」と呼ばれる放射線量の高い地点が点在していた。そこで政府の原子力災害対策本部が指定したのが特定避難勧奨地点だった。

 

年間積算放射線量が20ミリシーベルトを超える恐れのある場所を世帯ごとに特定し、子どもや妊婦を中心に、避難を呼びかけたのだ。国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に基づき、日本政府が採用した一般人の年間被爆上限が1ミリシーベルトだから、勧奨地点がいかに危険かは想像に難くない。

 

’11年、伊達市、川内村、そして南相馬市の、合わせて281世帯が、この特定避難勧奨地点として指定された。翌’12年12月。伊達市と川内村の勧奨地点については、線量が下がったとして指定は解除。一方で南相馬市の152世帯は除染の遅れなどを理由に解除されず、いまに至っているのだが、政府は同市の指定世帯についても「要件は整った」として、解除を急ごうとしている。

 

現在仮設住まいの林さんの自宅も、じつはその勧奨地点の一つ。指定解除となれば、やっと自宅に帰れると喜んでいるのかと思ったら、意外な言葉が返ってきた。

 

「解除なんて絶対だめですよ。線量が下がった?とんでもない。国の測定そのものもいい加減だし、除染していったんは下がったとしても、家のすぐ後ろ、西側が山ですから。西風が吹けば、そのつど山から汚染物質が飛んで来て、家の線量も上がってしまうんです。私のような年齢の者ならともかく、一緒に暮らしてる10代の孫に、家に戻ろうなんて、絶対言えませんよ」

 

衆院選は自民党の勝利に終わり、安倍総理は福島のことは「終わったもの」としたいようだが、現実は違う。デタラメな行政に無理を強いられる現地住民の姿がそこにはあった。

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