(写真:塩澤秀樹)

世界最大級の教会堂、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂の、ローマ法皇の名によるミサの開始を告げる澄んだ音色のベルが鳴り響いた。ルネサンス時代やバロック時代の第一級の芸術家が造営に携わった壮麗な大聖堂の一角に、約300人の日本人を中心にした合唱団が控えている。

 

彼らの前で、黒の礼服に身を包んだ長身の女性が静かに佇み、ミサの進行を見守っていた。168センチの長身、彫りの深い端正な顔だち。指揮者・西本智実さん(48)だ。合唱団のメンバーを見回すと、大きく優雅に、両手を広げ、手と指先がゆったりとしたテンポで柔らかに舞う。厳かに大合唱が始まった。

 

日本人による祈りの歌は、『ラウダーテ・ドミヌム』『ヌンク・ディミッティス』『オー・グロリオーザ』の3曲――。

 

それは、ヨーロッパのカトリック教会で古くから歌われ、クラシック音楽の原型にもなったといわれるグレゴリオ聖歌だった。それがなぜか、ヨーロッパから遠く離れた日本の長崎県の生月島にひっそりと残っていたのだ。隠れキリシタンが450年にわたって伝え、日本語として唱えてきた祈りの歌「オラショ」として。

 

その原曲であるグレゴリオ聖歌を西本さんが復元演奏し、オラショがカトリックの総本山、サン・ピエトロ大聖堂でよみがえったとき、枢機卿も大司教も、神父たちも口々に「これは東洋の奇跡だ!」と言った。’13年11月のことである。

 

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が6月30日、ユネスコの世界遺産に登録されることが決定した。長崎市の「大浦天主堂」や南島原市の「原城跡」など史跡に加え、「平戸の聖地と集落」も世界遺産として登録される。

 

世界遺産に含まれる見込みの平戸市の中江ノ島はオラショを伝えてきた生月島に暮らしてきたキリシタンたちの聖地だ。平戸市長の黒田成彦さんは、こう話す。

 

「江戸時代、キリスト教弾圧期の260年間、密かに信仰を受け継いできた潜伏キリシタンの集落に価値があるということで、平戸も候補となりました。平戸が認定されるために重要な役割を担ったのが、隠れキリシタンの存在であり、信仰心を保つ支えとなったオラショを唱える儀式だったんです」(黒田さん)

 

西本さんは、生月島に隠れキリシタンの伝承があるということを、バチカンでの演奏を通じて、世界に知らしめた。それは生きるために欠かせなかった信仰を、命がけで守ってきた隠れキリシタンの心を伝えるものでもあった。

 

’13年の初演以降、彼女は毎年、バチカンに招かれ、演奏を続けている。その活動が、平戸の世界遺産認定への大きな後押しになったのは間違いない。

 

大阪音楽大学作曲学科卒業後、’96年にロシア国立サンクトペテルブルク音楽院に留学した西本さんは、ロシア国立交響団や国立歌劇場で、外国人で初の指揮者ポストを歴任。日本人としてロシアで異例のキャリアを積んだ。

 

その後、活動の幅をヨーロッパ全土に広げ、’07年と’08にはアメリカのホワイトハウスに招聘されるなど、世界30カ国から招かれる国際的な指揮者である。

 

そんな彼女がなぜ、長崎県の小さな生月島のオラショの存在を知ることになったのか?

 

「私のルーツは生月島にありました。曽祖母は、壱部という集落で暮らしていた隠れキリシタン一族の末裔だったんです」(西本さん)

 

’70年4月22日、西本さんは大阪で生まれた。西本さんの幼少期、祖父は、何度か平戸に足を運んだ。捕鯨が盛んだった生月島のお土産にクジラのひげを買ってきてくれたことも。そんなとき、祖父は隠れキリシタン一族の末裔だった曽祖母の思い出話をしてくれた。

 

「ただ、曽祖母は20代で亡くなりましたので、祖父もまた幼くて、あまり記憶にはなかったようです。祖父から聞いたのは、曽祖母がはかなげで美しい人だったこと。琵琶が上手でいつも弾いていたこと。キセルを吸っていた姿がさまになっていたことなどです」(西本さん)

 

オラショのことも、祖父から聞いてはいたが、その原曲が、グレゴリオ聖歌だとは思わなかった。祖父母はキリシタンではなかったが部屋に十字架を飾り、音大出身の叔母はカトリックのシスターになり長くスペインの教会にいた。その叔母が送ってくれたミケランジェロ作『ピエタ(慈悲)』の絵はがきが美しく、うっとり眺めた記憶もあった。

 

家の中に漂っていたキリスト教的な雰囲気に導かれるように、西本さんは10年ほど前、生月島にある博物館「島の館」学芸員・中園成生さんを訪ねている。中園さんは、著書に『隠れキリシタンの起源』などがあり、生月島に残るオラショにも詳しい人だ。

 

「生月島の隠れキリシタンの特徴は、仏教や神道も並行して信仰する“信仰併存”だった点です。禁教となっても、表向きは仏教や神道の葬祭をしながらオラショを唱えてきた。宣教師は追放されていなくなったため、信者にはオラショを変えていく手だてもなく、原型そのままの形で島に残り、継承されてきたんです」(中園さん)

 

オラショのうちの『オー・グロリオーザ』の楽譜は、音楽史家の皆川達夫氏が発見し、16世紀にイベリア半島で歌われていたグレゴリオ聖歌であると突き止められていた。バチカンからの招聘状が届いたのは、まさに西本さんが、オラショの起源を知るのを待っていたかのようなタイミングだった。ずっと以前に世界的指揮者のカラヤンがサン・ピエトロ大聖堂で指揮をしている映像を見て「遠い世界だな」とあこがれていた。

 

「招聘がきまったときは、大変な驚きであり、光栄な瞬間でした」(西本さん・以下同)

 

国際音楽会と枢機卿のミサでも指揮する機会を与えられ、「あなたが演奏したいミサ曲はありますが?」と、聞かれた西本さんは、生月島のオラショのことを話してみた。「3曲のオラショのオリジナルをミサで演奏できないでしょうか」。

 

バチカンとしては、ヨーロッパに存在しない聖歌が、日本で残っているなど、にわかには信じられないことだったにちがいない。「それが本当に聖歌だったのか、聖地で演奏するのにふさわしい曲なのか、調べてみます」と、返答があった。数カ月後、「生月島の3曲のオラショの原曲は、たしかにグレゴリオ聖歌でしたミサで演奏してください」という、うれしい知らせが届く。

 

こうして’13年11月、西本さんはサン・ピエトロ大聖堂で合唱によるオラショを披露することに。

 

「オラショは、口伝だけで450年続いてきた。それが、発祥の地のバチカンに帰って、よみがえった。私の歩んできた音楽の道には、果たすべき役割があったんだなあと感無量でした。そこには、名もなき継承者が450年もの間、存在したということ。1人でも欠けていたら、実現しなかったことです。自分たちも長い歴史の1人なんです。やはり神様はいるんだと痛感しました」(西本さん)