「45年前、東京女子医科大学を卒業するとき、女子大なのに教授は男性医師ばかりで、少数の女性教授は、大部分が独身でした。出産や育児を我慢して働かなければ、教授などトップを目指すことはできないという雰囲気は、現在も変わっていないと思います」

 

日本女医会の副会長を務める、スワミチコこどもクリニック院長の諏訪美智子さんが語る。東京医科大学で女子受験生の入試点数が意図的に操作され、不合格にされたのは、出産・育児で男性医師と同じように働けない女性医師を、医療現場が敬遠しているためだとみられている。最近では「女性医師の手術」に言及した男性週刊誌の記事も注目された。

 

「だから私は、女性医師の割合も高く、育児環境が整った海外に出ようと決意しました」(諏訪さん)

 

だが、現在は、諏訪さんのように、旧態依然とした男性社会で自分なりの活路を見いだし、第一線で活躍するママ医師が少なからずいる。そんな、若い女性医師が“お手本にしたい”と思うようなスーパードクターに話を聞いた。

 

■江澤佐和子さん(44)・千葉県「新松戸レディスクリニック」

 

「医師10年目のころです。救急外来の当直の仕事を終え、空を見上げると、青空と白い雲に吸い込まれて。必死に働いてきて、ゆっくり空を見る時間がなかったんだと、涙が出てきたんです。ふと“あそこに行ってみたい”と思うようになりました。ちょうど同時期、日本で10年ぶりに宇宙飛行士の募集があったんです」

 

こう振り返るのは、南流山レディスクリニック理事で、新松戸レディスクリニック院長の江澤佐知子さんだ。当時36歳。慶應義塾大学病院の産婦人科医として研鑽を積んでいた。

 

「1カ月のうち、25日も当直をこなすこともありました。関連病院の診察、深夜の勤務、すべてが学びだったので、“つらい”の一言では片付けられませんでした」(江澤さん・以下同)

 

一通りの技術を身につけ、医学博士を取得。医師としての“土台”を築いたからこそ「いままで抑え込んできた冒険心を発散しよう」と思えたという。

 

JAXA応募者約1,000人の中で、江澤さんは10人のファイナリストに選ばれた。女性はたった1人。

 

「閉鎖空間での試験は、長時間手術をするときの手術室を思い出しました。個人への課題も、グループで協力する課題もありました。宇宙飛行士への夢には一歩及ばずでしたが、競争よりも協調が大切ということを学び、医療の世界を一歩踏み出し、広い視野を持てたことは、大きな収穫となりました」

 

臨床医に軸足を置きながら、’12年には、早稲田大学の法学部に学士入学する。

 

「海外での承認薬剤を、わらにもすがる気持ちで待つ患者さまが、日本では未承認であることで使用できないケースがあることを解明したいと思ったこと。そして治療困難な卵巣がんの根絶を願って、新薬の有用性についての論文で医学博士を取得したので、その法学的な視点から解決策を模索したいと思ったことがきっかけでした」

 

卒業論文の仕上げに追われていた’14年には、双子を出産。スコットランド人の夫のサポートもあり、卒論は早稲田大学法学会学術賞を受賞した。

 

現在は、クリニックの院長、産婦人科の臨床医、4歳の双子の男児の母、妻、大学院生、講演活動など、何役もこなす。

 

「海外では大学卒業後、人生経験のために1年くらい旅をして、医学部に入る人も少なくない。一方、現行の日本の制度では高校生でほぼ最終的な進路を決定し、医師になることが多いです。進路がすぐに定まらない人も、いろいろな経験をしたい人もいると思います。さまざまなチャレンジは、たとえ失敗したとしても、必ず糧になるはず。日本の医療界にも、そんな“寄り道”ができる制度があってもよいのかもしれません」

 

“人間力”こそ“医師力”を向上させるのだ。

 

小内さん以外にも、医療現場の“変革”に前向きに取り組んでいる女性医師たちは大勢いる。これからますます「女性が働きやすい病院」が増えていくことに期待したい。