「年のはじめに~、同じく~、早春野辺~ということを詠める和歌」
1月14日、京都市上京区の「冷泉家住宅」。袿袴を纏い、おすべらかしを結った女性が、独特の美しい抑揚とともに、今年初めの歌会のお題を告げる。こうして、年頭恒例の「歌会始」が厳かに幕を開けた。
「歌聖」と謳われた公卿・藤原俊成と藤原定家父子から連なる歌道宗家・冷泉家。京都御所と同志社大学のキャンパスに挟まれた“陸の孤島”のようなその住まい、冷泉家住宅は、わが国で唯一、完全な形で現存する公家屋敷だ。
歌会始のこの日、大広間には、平安の世にタイムスリップしたかのような世界が広がっていた。歌会前、その雅な空間に、女性の大きな声が響いていた。
「みなさん、まずはじめに、ここ2列、そこも2列、4人ずつが一緒に膝行しますよ、よろしいか?」
この日、集まった約70人の門人に、歌会の段取りを説明していたのは冷泉貴実子さん(71)。和歌のお題を決めるなど、会全体を取り仕切る彼女こそが、平安の美を守り伝えてきた冷泉家の末裔。先代・為任さん(’86年没、享年72)の長女で、婿養子に入った貴実子さんの夫・為人さん(74)が現在の当主を務めている。
「そんなね、元公家いうても別に、いまでは普通の家ですよ」
取材を申し込んだ際、貴実子さんはこう言って笑ってみせた。しかし、そこは800年余の歴史を誇る冷泉家。21世紀の現在も、旧暦にのっとって1年を過ごしていることだけをみても、やっぱり普通とは言い難い。
「それはホンマです。歌会始だけは、よそさんが『あけましておめでとう』と、あいさつしてはるのに、『うちはまだ12月ですから』言うてるわけにもいかんから。なんとなくお正月だけは新暦、みなさんと一緒にしてますけど。ほかは旧暦でやってます」
歌会始と並ぶ重要な年中行事、七夕の夜の「乞巧奠」をはじめ、桃の節句や端午の節句も、すべて旧暦で執り行う。そうすることが、日本の伝統を守ることに通じると冷泉家の人たちは信じている。
「乞巧奠は星祭り。新暦の7月7日って、たいがい梅雨の真ん中。星もへったくれもないですよ。同じく新暦3月3日なんて、まだ、さぶいさぶいですよ。それが、旧暦ならおよそ1カ月後ですから、桃の花が咲くほんわかした陽気になって。歌を詠むには、そのほうがぴったりくるんです」
先祖から継承した日本の伝統を、ただひたすらに、営々と守り続けてきた冷泉家。その思いは、もう3カ月足らずで御代替わりを迎え、平成の時代が終わりを告げようとするいまも、決して変わることはない。貴実子さんはこう言って、笑みを漏らした。
「そんな、元号が変わったぐらいでは、うちは変わらへんわ」
日本最古の公家屋敷で、貴実子さんは藤原定家が築いた和歌を守り続ける――。