情報提供を請うチラシ。有力な情報には最大100万円の謝礼金も支払われる。 画像を見る

突然、息子の命は奪われた。事故の際、息子は泣いていたのか、助けを求めていたのかーー知りたい。だが、いまだに犯人は逮捕されず。そんななか、母は自ら真相究明へと動きだした。

 

日本一の暑さを誇る埼玉県熊谷市ーー。強い日差しを照り返す道路に、黄色い菊の花だけが、くっきりと浮かび上がる。供花したのは、’09年、この場所で自動車にひき逃げされ、亡くなった小関孝徳くん(享年10)の母・代里子さんだ。

 

「命日の9月30日を迎えるたび、“事件は風化し、逮捕が遠のいているのでは”と、不安を感じます」

 

事故から10年を迎える今年の命日は、特別な意味を持つ。

 

「自動車運転過失致死罪の時効が成立してしまいます。しかし、いまだに犯人につながる物証や目撃情報はありません」

 

こう着状態とも思われる捜査。代里子さんは、今年1月にブログを開設して、情報提供を呼びかけている。同時に、事故の検証を、元交通警察官で、日本交通事故調査機構の代表を務める佐々木尋貴さんに依頼した。

 

「通常、ひき逃げは遅くても1カ月もあれば検挙できるので、時効間際というのは珍しいケースだと思っていました。私自身も交通事故で子どもを亡くしているので、お母さんの気持ちに寄り添いたい一心で」(佐々木さん)

 

しかし、それはつらい作業でもある。代里子さんが警察から衣服を提供してもらったときのこと。

 

「直接中が見えないように茶封筒に入っていたのは『心して見るように』というメッセージだったのでしょう」(代里子さん)

 

封筒を開けると中には、血で染まった下着が。痛みや苦しみが一気に伝わってきた。

 

「頭蓋骨の破片などもついていて、痛かったんだろうなって思って……、大号泣していました」

 

こうした証拠品をもとに鑑定作業に入ったとき、佐々木さんは、代里子さんが事故発生当時から感じていたのと同じ疑問を抱いた。佐々木さんが語る。

 

「事故現場の記録は、ほぼ完璧でした。疑問だったのは、孝徳くんと自転車が8メートルも離れていること。1台の車が衝突してひいてしまったとすると、このような状況になる可能性は極めて低い。警察では『何らかの事情』としていましたが、いくら考えても、その理由が思い浮かばない。むしろ、1台目が衝突し、倒れたところを2台目の車がひいたと仮定すれば、矛盾がなくなると見立てました。そうした鑑定結果は、警察にも報告し、情報共有されています」

 

母の執念は、時効直前に真相究明へ一歩前進させ、近隣の小学生の自転車利用時のヘルメット義務化、事故現場近くの信号設置など、再発防止にもつながった。

 

代里子さんは同時に、量刑が軽いとされる重大な交通事故に関して、時効を撤廃する署名活動を開始。9月上旬までには、法務省に提出することが決まっている。情報提供を募るブログも継続中だ。

 

「どんなささいな情報でも寄せてください。事故が発生して10年、犯人は遠く離れた他県で生活しているかもしれない。はっきりした事情もなくいきなり引っ越しをした人、運転していた車を廃車した人を知っている方は教えてください。事故について以前警察に話をしたことがある方も、再度、お聞かせください」

 

そして犯人にも呼びかける。

 

「生きているなら、自首して、社会的な罪を償って、人生を歩んでほしい。あのとき、孝徳は生きていたのか、泣いていなかったのか、助けを求めていたのか、私には知る権利があります。(警察から)逃げ切ったとしても、真実を聞くまで、私は犯人を捜し続けます」

 

たとえ時効を迎えても、事件は消えない。10歳の子どもと母親の未来の時間を奪った犯人は、罪を償わなければならないのだ。

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