「今回の被災状況を踏まえて延期する方向で検討している」
台風19号で被災した宮城県内を視察した安倍晋三首相が、神妙な面持ちでそう語ったのは10月17日のことだった。10月22日に予定されていた天皇陛下即位の祝うパレード「祝賀御列の儀」。首相自ら、その延期について言及したのだ。
わずか2日前の15日、菅義偉官房長官が「祝賀御列の儀などの準備については淡々と進めていきたい」と明言したばかり。まさに急転直下の延期決定だった。
10月12日から13日にかけて東日本を縦断した台風19号。その猛威は、未曽有の被害をもたらした。河川の堤防決壊は100カ所以上。住宅への浸水が17都県で計4万棟近く。死者80人を超え、現在も行方不明者の捜索が続いている。
官房長官の記者会見と同じ15日、宮内庁の西村泰彦次長も会見を行っている。その場で、天皇陛下と雅子さまのお見舞いのお気持ちが次のように公表された。
「天皇皇后両陛下には、台風19号による大雨災害で多数の方々が犠牲となり、また、依然として多くの方の安否が不明であること、数多くの方々が被災されていることに大変心を痛めておられます」
被災地の状況に心を痛め、お気持ちを表明された両陛下。「淡々と進める」という菅官房長官の発言とは明らかな温度差があった。政府が突然方針を転換してパレード延期に踏み切ったのはなぜなのか。政治部記者はこう語る。
「安倍首相が、パレードの延期を検討中だと被災地視察の直後に明かしたのは、首相自身の決断であるように印象づける演出にも感じます。しかし、延期決定の背景には天皇皇后両陛下のご意向があるとみて間違いないでしょう」
祝賀パレードは閣議決定で国事行為とされており、実施についての決定権は政府にある。
「もちろん両陛下が政治判断に関与することはできません。しかし両陛下は、宮内庁に対してパレードは延期すべきだと訴えられたのでしょう。宮内庁と内閣府は即位の礼に向けて密に連絡を取り合っています。両陛下のお気持ちは、宮内庁を通じて政府に伝わっていたはずです。両陛下のご意向がなければ、政府は菅官房長官の言葉どおり“淡々と”パレードの準備を進め続けていたに違いありません」(前出・政治部記者)
雅子さまの胸には、大規模災害にまつわる苦悩の記憶が今も色濃く残っているはずだと語るのは、ベテランの皇室ジャーナリスト。
「’95年1月17日に阪神・淡路大震災が発生しました。天皇陛下と雅子さまは、その3日後の20日に中東3カ国を訪問されることが決まっていたのです。非常に長い間、各国間で準備を整えてきた国際親善のご公務を中止にすることはできませんでした」
ご出発前日の記者会見で、雅子さまは表情を曇らせ、声を震わせながらおっしゃった。
《国内でこういうことが起きている時期に国を離れるということは、大変忍びないという言葉がよろしいのでしょうか、そういう気持ちでございます》
阪神・淡路大震災という大災害の直後に外国へ向かわれる葛藤を吐露された両陛下。しかし、その会見の直後から宮内庁の電話がひっきりなしに鳴り響くことになる。「なぜこの時期に」「中止すべき」という抗議の電話が殺到したのだ。ご出発会見で陛下は、こうもお話しになっている。
《皇族の仕事として国際親善もまた大きな仕事であり、以前から計画され、向こうの首長あるいは王族の方々に心をこめていろいろ準備して頂き、ご招待におこたえする意味でも、こういう状況ではありますけれども、親善訪問に努めてまいりたい》
中東ご訪問中も震災の被害は拡大し、両陛下は大使館から送られてくる新聞のコピーを隅々まで読まれ、被災地を案じられていた。
「しかし現地で友好親善に努めようとされるほど、両陛下は笑顔をお見せにならなくてはいけませんでした。結局、予定を2日間繰り上げて日本に帰国されたのですが、お心が引き裂かれるような海外ご訪問となってしまったのです。24年前の“大震災の悔恨”が、今回のパレード“延期の訴え”にも秘められていたのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)