「奈乃ちゃーん、今日はねぇ、取材の人が来てはるよ~。奈乃ちゃんのこと、いっぱいお話ししようねぇ」
幸田佑里子さん(42)はこういって、愛してやまない娘に語りかけた。でも、「奈乃ちゃん」と呼びかけられたまな娘がその声に応えることはない。ママの視線の先にあったもの、それは小さな、小さな骨壺だった。奈乃羽ちゃんが亡くなって間もなく1年半。ママは、小さな骨壺をいとおしそうに抱きしめた――。
一昨年の1月のことだった。テーブルに手をついて立ち上がろうとした瞬間、佑里子さんは自分のおなかの中から液体がこぼれ出る感覚がして、青くなった。
「すぐにトイレに駆け込んで、生理用品で押さえたんです。でも、ジャーッと流れ出る液体が、全然止まってくれなくて」
腹部に走る鈍い痛み。添えた手の中で、やっと少し膨らみ始めていたおなかが、みるみるうちにペチャンコになっていく。それはまるで、長年夢見たママになれるという希望まで、萎んでしまうかのようだった。3年に及ぶ辛い不妊治療の末、体外受精を経て授かった我が子。ところが、出産予定日までまだ3カ月以上というタイミングで破水してしまったのだ。
医師はこう説明した。
「22週を経過していれば、延命措置ができますが、幸田さんの赤ちゃんはまだ21週と4日目。現時点で生まれてしまうと、流産ということになってしまいます」
母体保護法では「胎児が、母体外において生命を保続することのできない時期」の基準を、通常妊娠満22週未満と定めている。つまり、佑里子さんの赤ちゃんは、少なくともあと3日はおなかにいないと、法的に早産と認められず、救命措置もしてもらえない。
「看護師さんから『しっかり食べて』と注意されましたけど。もう、怖くて食べることも眠ることもできなかった。ただ、おなかに手を当てると、羊水がない分、ダイレクトに赤ちゃんの心拍が。その『ドクドクドクッ』という、少し速い心臓の鼓動を聞いてると、少しだけ安心できました」
やがて、赤ちゃんは妊娠22週目に突入。母の体の外で生きる権利を勝ち取ることができた。破水から1週間後の1月27日。とうとう佑里子さんの体に陣痛が。分娩台に横たわり、わずか2回いきんだだけで、赤ちゃんは生まれてきた。体重わずが325グラムの女の子だった。
「その瞬間『キャッ』という小さな産声が聞こえて。生きて、生まれてくれたんだ、と実感しました。まだ肺の機能がちゃんとできていないからと、すぐに呼吸器を挿管する処置があって」
涙が止まらなかった。触れたら壊れてしまいそうなほどに小さな赤ちゃんの小さな指先に、ママは指先でチョンと触れた。母子の最初の小さなハイタッチだ。そして、声に出して言った。
「生まれてきてくれて、ありがとう!」
それから、奈乃羽ちゃんは懸命に生きた。度重なる手術に耐え、時にママの目をじっと見つめ、最期はパパの腕に抱かれて、9カ月の人生を生き切った。
「そもそも、(火葬後は)骨が残らないんと違うかと思ってた」
こう敏哉さんは語る。佑里子さんが言葉を足した。
「ミルクもきちんとあげれてないし。入院中のレントゲンにも骨がうっすらとしか写らなかったから」
火葬を終えると、遺体の置かれていたところに、真っ白い骨がきちんと残っていた。
「それ見たらね、死んでしまったことは寂しくて悲しくてたまらないのに、うれしく思えて。『よし、この骨、全部拾うたれ!』と、2人で30分以上かけて拾いましたよ。1ミリのかけらだって残すまいと」
目を赤くしながら語る敏哉さん。その横で、目に涙を浮かべた佑里子さんが何度もうなずく。
「でもね、こうも思ってるんです。いつか、どこかで生まれ変わった奈乃ちゃんと、必ずもう一度会えるって。だから、2人して最近は空に向かってよく、こう言うんですよ。『また、会おうね』って」
父母の願いと尽きる事のない愛情は、天に昇っていく。
「女性自身」2020年4月14日号 掲載