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「田舎に帰ったらお袋にしわしわの手でお金を渡されて、もう帰ってくるなって……」

 

1杯のけんちん汁をすすりながら、涙をこぼす客。うなずき、話を聞くけんちん汁店「大倉屋」の店主・石橋新平さん(84)・ヒロ子さん(83)は、変わりゆく山谷の町を見続け、労働者たちの切ない身の上に耳を傾けてきた。

 

大倉屋のけんちん汁は、もとはヒロ子さんの故郷の味。栄養たっぷりの優しい味だ。帰れないふるさとを思いながら味わう野菜の甘味は、今も、寂しい心を温め続けていた――。

 

「取材? ダメダメ!」

 

大倉屋を取材中、少なくない数の客から、記者は取材を拒否された。なかには、取材協力の依頼を一切無視する人や、一瞥もくれずたった一言、強い調子で「いやだ!」と返す人も。新平さんからも、こんなふうに注意を促された。

 

「この町の人はね、いろいろとワケありだったり、難しい人も多いからね。声かけるのも、写真撮るのも気をつけてやってよね」

 

ヒロ子さんも次のように常連客たちを慮った。

 

「人生のね、裏街道を歩いてきちゃったような、そんな行き場のない人も多い町だからね……」

 

テイクアウト専門とはいえ、店先で立ったまま、あるいは店前の路上にしゃがみ込んで、そのままけんちん汁を食べる者もいる。疲れた表情を浮かべた彼らの顔には、いちように「話を聞いてもらいたいと、書いてあるようなんだ」と、ヒロ子さん。新平さんやヒロ子さんは時間の許す限り、彼らがとつとつと語る身の上話にも付き合う。

 

少し前のこと。しばらく顔を見せなかった常連客が来店した。

 

「どっか行ってたの?」

 

ヒロ子さんが声をかけると、男性は「田舎にね……」と呻くように一言告げると、人目もはばからずに大粒の涙をこぼしたという。

 

「聞けばね、その人は若いころ、うんとおばあちゃんにかわいがってもらったんだって。それで、おばあちゃんに会いたくて田舎に、宮城って言ってたかな、久しぶりに帰ったんだって。本当はいっぱい迷惑かけたから実家には帰れないと思ってたけど、どうしてもおばあちゃんの顔が見たくてって。だけど……」

 

かつて、祖母が暮らしていた家はもう跡形もなく、二度と敷居を跨げないはずの実家に思い切って立ち寄り祖母の近況を尋ねると、もう何年も前に他界したと知らされたという。ヒロ子さんはしみじみと続けた。

 

「その人、涙こぼしながら言ってましたね。仏壇のおばあちゃんに線香あげたけど、火がつけられないぐらい泣けたって。それで『山谷に来て、この町にどっぷりつかってしまうと、年月を忘れてしまう、何が何だかわからなくなっちまう』って」

 

信頼を寄せていた人から、退路を断たれてしまった者もいた。

 

「これは数年前だけどね、その人もやっぱりしばらくぶりに実家に帰ったんだね。田舎、どこだか聞かなかったけど、言葉の感じだとやっぱり東北かな」

 

その常連客がヒロ子さんに語ったのは次のような物語だった。

 

男性が久方ぶりに実家に帰省すると、家を継いでいた兄は早世していた。家に残されたのは年老いた母と、兄嫁。兄嫁は何年も会うことのなかった義弟を、歓待してくれたという。

 

「酒に魚でもてなしてくれたそうですよ。それで気分もよくなったんだろうね、家業に男手も要るだろうと、その人は実家に残ることを真剣に考えたって。ところが、何日かたった朝ね、お母さんが彼を呼んで言ったんだって。『みんな、おめえが急に帰ってきて困惑してる。嫁さんだって本当のところ迷惑してんだ。家のことは心配ねえ。だから、黙ってこのまま帰ってくれ』って」

 

男性は目を泣きはらしながら、ヒロ子さんにこうこぼしたという。

 

「そんでさ、お袋、しわしわの手で俺に金、握らせながら繰り返すんだ。『ここはおめえのいる場所じゃねえ、だから帰れ』って」

 

客との思い出を語るヒロ子さん。その話を黙って聞いていた新平さんがつぶやく。

 

「それでみな、仕方なしに思うんだって。『もう、ヤマに帰ろう』って。ヤマってのは、山谷のことね。そうやってみな、ヤマに、この町にまた戻ってくるんだよ」

 

ヒロ子さんがもう一度、しみじみと言った。

 

「帰る場所がない人たちは、ここをふるさとにしてるのね。それで、こういう食べ物は昔、私はもちろんだけど、私たちの世代はみな、ふるさとで食べたの。だから、けんちん食べるとね、お客さんたちも懐かしく思い出すんじゃないかな、自分のふるさとのこと……」

 

「女性自身」2020年11月24日号 掲載

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